分からないことをたくさん抱えている人の方が強くなるということ。

うちの塾はテストがかなり多い。中学部では、英単語テストや漢字テスト、月1回の語彙テスト、数学の10問テスト、理社の授業冒頭にやる復習テストなど日常的に実施するテストから、単元終了ごとの単元テスト、定期テスト前の確認テスト、講習終了時の講習終了テスト、学力模試や入試模試などの不定期で実施するテストまで、テスト・テストのオンパレードだ。

どんなテストでも模範解答を渡さない

学力模試や入試模試のような外部業者に委託するテスト以外、塾内で作成するテストで全て共通しているルールがある。それは、どのような種類のテストでも、模範解答を生徒に渡さないことだ。うちの塾では、生徒にとってテストを受けてからが大変だ。テストが何点であっても、模範解答無しで全て正解するまで自力でやり直しをしなければならないからだ。

例えばこのブログで何度も書いているこだわりの10問テストは、授業が終わった後に1人1人間違ったところをやり直し、全て正解した人から帰宅するというシステム。この話をすると、「どうしてもわからない場合はどうするんですか」と質問されるが、その日の最終閉館時間(22時30分)までに終わらない場合、自宅に持ち帰り次の日まで持ち越しということにしている。

10問テスト以外にも、単元終了ごとの単元テストや確認テスト、講習終了テストも基本的には同じ。これらはその日中ということではないが、いついつまでに全て終わらせるという最終期限をあらかじめ設けて、生徒はその期限までに全てのやり直しを自力で終わらせなければいけない。

このように、うちの塾が模範解答を渡さずにやり直しをさせる理由はたった一つ。

それは、お手軽に答えを分からせないためだ。

分からないことに向き合い続けられる力

生徒の学力を鍛えるためには、分からないことをたくさん抱え続けられること、分からないことに対してきちんと向き合い続けられることが何よりも大事だと思っている。

私のような塾講師は、わかりにくいことを分かりやすく教えてあげることが仕事だ。授業でいかにわかりやすく伝えるか、どう説明すると抵抗なく理解できるのかを毎日考えているし、できるだけわかりやすい授業を心がけている。

でもその一方で、それは子どもにずっと流動食や咀嚼した食べ物を与え続けているのと同じことでもある。わかりやすい授業をすればするほど、生徒から自分の頭で咀嚼する機会を奪う。そのうち、生徒は自分で咀嚼できなくなってしまうか、咀嚼が必要なハードなものを嫌うようになる。柔らかいものばかり食べてきた子が固いものを食べなくなるように、何でもわかりやすく誰かが教えてくれる環境にどっぷり浸かった子は、わかりにくいものを自分で考えることを避けるようになる。

だから、テストのやり直しの時くらいは、模範解答を配らない。解説もほとんどしない。安易な質問は突き返し、徹底的に自分でやらせる。忘れていることは自分で復習させ、1日考えても分からないのなら2日考えさせる。

分からないをたくさん抱えて生きていけ

ブログではこんな簡単に書いているけれど、実際は生徒も講師もこれがかなり大変なのだ。特に勉強が苦手な生徒は、分からない状態を嫌がる。分からないことに向き合おうとすることを避ける。だから、やり直しをギリギリまで放置し、結果期限まで終わらないこともしばしば起こる。そんなときも、生徒を甘やかさず、たとえ期限が過ぎてもきちんと終わるまでやらせる。それが小学生であっても中学生であっても。

そうやって粘り強く指導しているうちに、分からないことを粘り強く考え続けられる思考力、分からないことを常日頃抱えていられる耐性、分からないことに対してきちんと向き合える向上心が少しずつ養われる。時間と労力はめちゃくちゃかかるけれど、それがうちの塾のやり方だ。

学問なんて、下手したら一生考えても答えの出ない問題を、分からない分からないと一生かけて考えなければいけないこともあるだろう。学問だけでなく実社会で生きることだってそうだ。これだけネットが発達しても、実際に生きていると分からないことなんてたくさんある。正しい正解が何のか、そもそも正しい正解があるのかどうかも分からないことを、考え続けなければいけない。

自分の生徒たちには、分からないことが何もない状態でいるよりも、分からないことをたくさん抱えて生きていけと思う。それができることが、これからの時代に求められる力だとも思うから。

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