今日は課題本「兎の眼」の2回目の小6生読書会。
今日の課題ページのほとんどは、重い障がいをもつ「みな子ちゃん」についての話でした。
「みな子ちゃん」とは
読書会のレポートの前に、まずは今日のテーマの「みな子ちゃん」についての予備知識を書いておきます。
養護学校への入学が決まっていたみな子だが、入学するまでの1ヶ月ブランクが空いてしまう期間、この小説の主人公の小谷先生の学級で預かることになった。
みな子は授業中、3分間もじっとしてしていられない。歩き回り、友だちの消しゴムをとり、時には隣の子の教科書を破ってしまい、ノートに落書きをする。一番大変なのは給食で、みな子はスプーンをうまく使えない。手づかみで食べたり、自分のものと隣の子の給食の区別がつかず、隣の子の給食に手を突っ込んでしまうことも。
そんなみな子ちゃんが唯一発することができることばが「オシッコジャー」。その言葉を聞くと、小谷先生は超スピードでみな子をトイレに連れて行く。それでも成功することはまれで、先生はしょっちゅう後始末に追われることになる。
今日の読書会のテーマ
「もしみな子が自分のクラスにやってきたら、自分ならどうするか。」
これが今日の読書会のテーマでした。重い内容だということは分かっています。でも、もう6年生です。こういうテーマについてじっくり考えるのもいい機会でしょう。
自分ならどうするかを考える前に、まずは本の内容を振り返りながら、いろいろな登場人物の、みな子に対する感情や対応を振り返ります。
みな子のクラスメイト、担任の小谷先生、クラスメイトの保護者。それぞれの登場人物が、どのような立場から、またどのような想いから、重い障害を持つみな子を受け入れるのか、もしくは受け入れないのか。それを本から読み解きます。
一通り読み解いたあと、今日の読書会のテーマ、「もしも自分だったらどうするのか。受け入れるのか。いや、受け入れられるのか。」という部分を、理由とともに考えてもらいました。
道徳的に考えれば「障がいを持つ子の個性を認め、仲間として受け入れるべき」が正解なのでしょう。しかし、この読書会は学校の道徳の時間ではありません。こういう本を読んだんだから、こう考えなければいけない、こういう感想を持たなければいけないということはありません。
6年生の意見の一部を紹介します。
「みな子当番」はやっても良いと思うけれど、みな子がみんなと一緒に勉強や、生活ができるようになってから、ぼくは受け入れたい。
私はおこってしまうと思います。だって手をつっこまれたものはたべたくないからです。でも、「みな子当番」みたいな案には賛成すると思います。
みな子みたいな子がいると、クラスが明るく、楽しくなるのでいてほしい。でも、悪いことや自分がいやなことをされたときは、ちゃんと注意してあげたい。
私だったら、淳一みたいに優しくはあまりできないと思いました。自分の教科書をやぶられたり、給食に手を入れられたら、あまり良い気分にはならないからです。でも、みな子ちゃんのためになる事は、してあげたいと思います。
同じ本を読んでも、色々な感想を持つ人がいるし、色々な感想があって良い。だからこそ本は自由で、面白いんだよということを伝えました。
兎の眼は、決して簡単な内容ではなく、テーマも重いです。でも、一つの本をキッカケに、いろんなことを考える。本を読むことで、いろんな人の生き方や考え方を追体験することで、自分の思考の幅を拡げる。そしてそれをみんなで共有する。
それが読書会の真髄だと思います。
さて、次はいよいよ兎の眼の最終回。とうとう兎の眼を読破します。