本当に努力できる人は、努力を努力だと思っていない。努力できる人とできない人の認識の違い。

2016年9月16日

勉強が得意不得意にかかわらず、努力ができる人とできない人がいます。実際は、努力をしたからといって必ずしも勉強ができるようになるわけではありません。ただ、何か大きな目標を成し遂げる生徒、不合格の判定をひっくり返して逆転合格する生徒、難関と呼ばれる学校に合格する生徒は、やはりそれ相応の努力をしていました。

一方で、なかなか努力ができない、長続きしない生徒もたくさんいます。保護者の方からも、「やればできるんですが」と言われるような子です。いわゆるYDKってやつです。

「努力」に関する記事はこのブログでもたくさん書いてきましたが、改めて「努力が継続できる(できた)子」と「努力ができない(できなかった)子」を思い返してみると、両者の違いは「努力」という認識の違いにあるのではと考えるようになりました。

結論から言ってしまうと、努力ができる生徒ほど、「自分は努力している」とは思っていません。つまり、努力を努力として認識しておらず、努力を別のものとして認識している傾向があります。努力ができない生徒ほど、「努力しなきゃ」「頑張らなければ」と、強く努力することを意識しています。

では、努力ができる生徒は、努力をどのように捉えているのか。大きく分けて次の4つに分類されるでしょう。

努力ではなく習慣

努力を続けている人は、その努力を習慣化しています。毎朝歯を磨くことを努力と捉える人がいないように、一度習慣化してしまえば、最早それは努力という感覚ではなく、「やるのが当たり前」という感覚になります。

<過去記事>

「今俺超努力している」という気分でいるうちは、ただ自分に酔っているだけです。頑張っている自分に酔っているのです。最初のうちはそれでも良いのかもしれませんが、酔いというのはいつか冷めてしまいます。

努力しているという感覚がなくなるまで習慣化すること。それが、努力を続けることのできる一番の秘訣です。

努力ではなく環境

「努力ができる人=自分に厳しい人」というイメージが根強いと思いますが、なにも努力できる人が全員修行僧のようなストイックな心の持ち主ではありません。これまで多くの塾生を見てきた経験から、自分に厳しい人というよりも、自分の環境をうまくコントロールできる人という方がしっくりきます。

たとえば、家では勉強に集中できないから自習室や図書館に通う。ついついスマホをいじってしまうから、ゲームアプリやTwitter等は入試が終わるまでアンインストールする等です。努力できる人は、実はストイックな考え方なのではなく、少しでも「楽」をするために、勉強しやすい環境、継続しやすい環境を自分でコントロールできる人なのです。

<過去記事>
なぜ人は家にいると勉強できないのか

努力ではなく方法

努力はしばしば精神論で語られがちですが、継続して努力できる人は、努力=精神論とは思っていません。むしろ、継続して努力できない人、努力が単発で終わってしまう人の方が、精神論を語るのも語られるのも好きなようです。

継続して努力できる人は、滅多に「頑張ります」と口にしません。昨日の記事にも書きましたが、努力できる人は極めて冷静で具体的です。「必死でやります」「気合いで頑張ります」という抽象的な言葉はほとんど使わず、その代わり「どのように勉強するか」「どのように目標を達成させるか」という方法を考え、実行します。

<過去記事>
精神論からそろそろ脱却した方がいいんじゃないか

努力ではなく希望

継続して努力できる人が常に意識しているのは、「希望」です。憧れの高校へ入学することだったり、ずっとその先の将来の夢だったりと「希望」の形は人それぞれですが、必ず意識はそこに向いています。一方、努力がなかなか続かない人が見ている先は、「現状」です。やりたいことを我慢して、勉強を頑張っている「今」に常に意識が向いています。

「希望」に目を向けている人は、勉強に対してプラスのイメージを持つことができます。だから少々しんどくても継続できるのです。しかし、「現状」に目を向けてばかりいる人は、勉強に対してどうしてもマイナスのイメージしか持てなくなります。だからなかなか続かないのです。

まとめ

まとめると、努力ができるようになるためには、努力そのものに意識を向けないということになるでしょう。努力しなきゃしなきゃと思っているうちは、皮肉なことに努力は続きません。無理がいつまでも続くほど強い人はなかなかいません。

努力を努力と捉えないこと。努力が継続する秘訣はそこにあるのです。