「僕には将来の夢がありません」という子に対しての私の意見

2012年11月30日

「先生、僕には将来の夢がありません。どうしたらいいですか。」中3の男子生徒が私のところにやってきて、こう質問した。高校入試の面接対策のことだとピンときた。「面接はとにかく具体的に答えなければいけない。志望動機や高校生活での意欲について、自分の将来の夢と絡めて具体的に内容を考えろ。」と2週間前に生徒たちに話した。先ほどの彼は、具体的な将来の夢がなくて志望動機や高校生活での意欲をどう書けばいいか困っているという。

「あなたの夢は何ですか?」

こう聞かれて即答できる中学生はどれくらいいるだろう。中学生だけではない。高校生だって大学生だって社会人だって、果たして自分の将来の夢を明確に持っているのだろうか。就職活動に明け暮れる大学生、就職してからもなお転職先を探す社会人。子どもでも大人でも、ほとんどの人は本当は明確な夢なんてない。私だってそうだ。今でこそ塾講師として独立し、会社を立ち上げているが、自分が中学生の頃にまさか自分が塾の先生になるなんて思ってもみなかった。もっと言うと、中学生の頃に明確な夢なんて抱いていなかった。夢なんてなかったけれど、今までなんとか生きてこられた。

神奈川の高校入試では、今年から面接試験が必須になった。ほとんどの高校が「将来の展望」を面接での必須観点としている。これは、何が何でも夢を持ちなさいという高校側のメッセージだろうか。そういう学校の先生方や教育委員会の方々は、中学生の頃に明確な夢を持ち、それを叶えたのだろうか。

テレビや雑誌では、無責任な大人たちがこれ見よがしに夢の重要性を語る。プロのスポーツ選手や芸能人や有名な会社の社長などの特別な人の、キラキラとした経験談を引き合いに出して、「夢を持つことはこんなに素晴らしい。だからあなたも夢を持とう。」と訴えかけてくる。確かに明確な夢があった方がいい。いいに決まっている。だけど、スポーツや芸能など、何か特別な分野に秀でている人はともかくとして、普通の凡人には夢を持つことは至難の業だ。凡人にとって、自分の本当にやりたいことを見つけることが、そんなに簡単であるはずがない。

普通の人には夢なんてない。夢は「持ちなさい」と強制されるものでもないし、入試の面接があるからと、そのタイミングでわざわざ考えるものでもない。そもそも、夢は持つものでも探すものでもないんじゃないか。自分が夢中で打ち込める何かに対して全力投球しているうちに、自然と追いかけているもの。それが夢なんじゃないか。

夢がないと質問してきた男子生徒には、「今は夢はないとハッキリ言ってもいいんじゃないか」と答えた。高校に行って一生懸命勉強して、見識を広げるために大学に行って色々なことを一生懸命学んでいるうちに、自分が夢中で打ち込める何かが見つかるかもしれない。だから、頑張りたいでいいんじゃないかって。でも、それでは模範解答にはならないんだろうな。

夢を持つことを強制するよりも、例え夢がなくとも日々を一生懸命生きろと教えた方が、子どもにとっては有意義なことなんじゃないかと思う。そういう意味でも、やっぱり面接試験が必須の入試制度が好きになれない。

 

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