天才にはなれないが、秀才くらいにはなれる秘訣

2012年10月18日

天才になれる秘密の記事を読んで思ったこと。

天才とはコピーがうまい。
凡人はひたすら努力する。

 これには激しく同意する。天才かどうかは置いといて、頭の良い人は真似をすることが上手い。塾で小中学生を教えていても、頭の良い子は講師の解法をそのままそっくりコピーするが、要領の悪い子ほど自分のやり方に固執する。

要領の良い人は、すでにある物を自分の所へもってきて、ちょっとぐらいルールから外れても、適当に書き換えてまるで自分が作ったかのように成果を出す。

要領の悪い人は、ゼロから自分で考えて、教科書やルールからは絶対はみ出さず努力に努力を重ねて、結果、すでに誰かが作ったような物の劣化版を持ってくる。

そうそう、まさにおっしゃる通り。小中学生でも、自分では解けない問題がある場合、頭の良い子は、問題集や参考書からそれと似たような問題を探し、その解き方を真似て解いてみる。一方で、要領の悪い子ほど、問題集や参考書を開こうともせず、解けない問題をずーっと眺めながら自分の頭だけで答えを生み出そうとする。

ビジネススクールに参加したとき、同じような話を聞いた。
「新しいビジネスを考え出そうとするな。既存のビジネスをどう組み合わせれば上手くいくかを考えなさい。」
自分が思いつく程度のビジネスなんて、必ず他の誰かも同じようなことを考えているか、既にそれをビジネスにしている。「この世にまだ存在しない新しい何か」を生み出す力があるならば、きっとその人はすでに天才で、一生懸命ビジネスを考える前に大成功しているハズだろう。

「自分で考える力」とは、「自分で過去の資産を組み合わせる力」じゃないだろうか?

勉強に限って言えば、まずは講師の考え方や解法、問題集の解き方をとにかくパクリまくって、人のものが完全に自分のものになるように繰り返して練習する。こうすることで、「過去の資産」がどんどん蓄積されていく。そして、蓄積してきた資産のどれとどれを組み合わせると、目の前の問題が解けるのかという「資産のチョイス」の精度を上げるために、色々なパターンの問題を解いてみる。勉強には欠かせないアウトプットの力というのが、実は「資産のチョイス力」なのである。勉強ができる人というのは、「過去の資産」の蓄積が多く、「過去の資産のチョイス」が上手な人のことだ。こういう人のことを、世間では秀才と呼ぶのだろう。

ただし、上記の記事では「天才になる秘密」とあるが、本当の天才は、やはり「ゼロから新しい何かを生み出すことができる人」なのだろうと思う。ゼロから何かを生み出さない限り、新しい文明はつくり出せない。今、私たちがこうやって発達した文明の中、豊かな生活ができるのは、何もないところから文明の利器思い付き、つくり出した過去の「天才」たちがいたおかげだろう。本当の天才にはやはりずば抜けた「発想力」がある。

ただ、天才になれなくてもいいじゃないか。天才に必要な発想力が欠けているのなら、秀才に欠かせない「構成力」を磨けばいい。構成力を磨くために必要なのは、繰り返すが、「過去の資産」の蓄積とその資産のチョイス力を高めることだ。