入試をもっと単純化してみてはどうだろう

2012年8月5日

ロンドンオリンピック真っ最中である。ロンドンと日本の時差の関係で、オリンピックのTV中継が深夜に放送されていてるが、何を隠そう深夜2時〜3時と言えば塾講師のゴールデンタイムである。世間の皆様がおやすみの間、世の塾屋はリアルタイムでメダル獲得の瞬間を見ることができるのだ。コレはもうまさに塾屋の特権!

さて、オリンピック中継を見ていて夢中になるのは、競泳とかサッカーなどの勝ち負けが単純なスポーツだ。「人より速く泳いだヤツが勝つ」「より多く転を入れた方が勝つ」という単純明快なルールだから、スポーツにド素人の私でも夢中になれる。一方で、柔道とか体操なんかは、勝ち負けが複雑でなんだかよく分かりにくい。知らないうちに負けていたり、よく分からないうちに買っていたり、いきなり判定が覆って銀メダルをとっていたりで、TV越しに置いてけぼりを食らったような気持ちになる。日本人が分かりにくい判定でメダルをとっても、単純なスポーツのように無邪気には喜べない。

スポーツなど勝敗が決まる勝負事では、誰の目から見てもルールが単純明快な方が、勝った時であれ負けた時であれ後腐れがない。入試制度だって同じだと思う。高校入試もサッカーと同じように、「人より多く点数をとったヤツが勝ち」にはできないのだろうか。

神奈川では今年度から新しい入試制度が導入される。それがもう、複雑で分かりにくいこと極まりない。内申書・学力試験・面接の評価割合が各学校バラバラだし、公表されない面接得点の割合が2割以上もあるし、特色検査の得点だって非公表。これまで以上に、合格不合格の理由が極めて不透明になり、なんで合格なのか、何が悪くて落ちたのかの基準が非常に曖昧になる。

そもそも、勝敗をつけなければいけないものこそ、分かりにくい物差しを持ち込むべきではないんじゃないか。合否を決めるってことは、少なくとも受験における勝者と敗者を決めるっていうこと。だったら、受験生の人格なんて無視して、分かりやすく点数のみで競わせる方が健全なのでは?なんて、オリンピックを見ながらぼんやり考えている今日この頃です。