勉強とは、間違えることである

今、中学生は定期テスト期間の真っ最中なのですが、特に初めて中学校での定期テストを迎える中1生は慣れないテスト勉強に悪戦苦闘しています。

先日、ある中1生が定期テストの勉強しようと英語の新しい問題集を開き、最初のページのアルファベットの書き取り練習にもくもくと取り組んでいました。また、ある生徒は、教科書の復習をするために、正負の数の加法減法の基本問題に取り組んでいました。

この生徒たちは、すでに塾でアルファベットや正負の数の加法減法のはるか先まで習得済みです。アルファベットは当然書けるし、正負の数の加法減法も今更改めて何十問も練習するレベルではありません。

真っ新の問題集の1ページ目から取り組もうとしている真面目さは理解できますが、もうすでにできる問題にどれだけ時間を費やしたところで、それは勉強しているとは言えません。

なぜなら、間違えないからです。

間違えることから勉強は始まる

「勉強とは、間違えることである。」

これは勉強の大前提とも言えることですが、上記のように、このことを理解できていない中学生は意外にも多くいます。

勉強とは、知らなかったことを理解し、できなかったことをできるようにしていくことの積み重ねです。そして、自分は何を知っていて何を知らないのか、何ができて何ができていないのかを仕分けるために、問題集を解いています。

間違えた問題について、もう一度基本に戻り、理解不足の箇所を確認して記憶し直したり、もう一度よく考え直します。この作業こそがテスト勉強の要です。

つまり、勉強とは、間違えるところからスタートするのです。

アルファベットの書き取りのように、正負の数の単純な計算のように、すでにできると分かっていることをどれだけやってもそれは勉強ではありません。

なぜなら間違えないからです。間違えないから、いくらやっても勉強は始まらないのです。

タイムアタックで間違える状況を作り出す

このように、できると分かっている問題を延々とやり続けることは、効率の良い学習ではありません。

しかし、すでにできると分かっているような問題でも、繰り返し練習することが有効なケースはあります。

それは、新しく何かを習得する「勉強」ではなく、すでに習得したものに対して正確さとスピードを身につける「訓練」が必要なケースです。

先ほどの塾生の例で言うと、アルファベットの書き取りは論外ですが、数学の基本的な計算問題であれば、ある条件を付け加えるだけで、意味のない勉強から学びの大きい「訓練」に昇華することができます。

その条件は、厳しく制限時間を設定し、間違いやすい状況を作り出すことです。

時間をかければ間違えようがない問題でも、スピードを要求されると間違えやすくなります。これを、短時間でも間違えないように練習することによって、計算の正確さやスピードが向上させることができます。

すでにできる問題についてタイムアタックをすることで、あえて間違いやすい状況を作り出すこと。

数学の計算練習、英語の長文読解練習など、スピードと正確さを求められる分野では、この学習方法はとても有効です。

まとめ

間違うことを極端に嫌がる子どもは少なくありません。本人のプライドなのか、間違ったことで叱られたなど嫌な経験がそうさせているのかは分かりませんが、間違えない簡単な問題ばかりをあえてやりたがります。

間違えない問題をたくさんやってたくさん◯をつけて満足し、本人はとても勉強した気になっているのですが、これは勉強ではなく、ただ自分の承認欲求を満たしているだけです。

誰でも「できない」ことよりも「できる」ことをやりたいものです。問題集を解くにしても、解けない問題が多いページよりも、どんどん解ける問題が多いページの方が自信もつくし、何より勉強した気にもなります。

しかし、本当に成果を出す勉強がしたいのであれば、やるべきことは間違うことです。たくさん間違って、たくさん修正して、それをきちんとできるように習得することこそ、効率が最も良い勉強と言えるのです。

勉強とは、間違うことであり、間違ってからが本当の勉強のスタートなのです。