一生懸命面倒を見てあげるほど、子どもはバカになっていく。

定期テストの勉強会も今週が大詰めです。メイン中学の定期テストは明日からですが、ほとんどの生徒は先週の間に既に大方は仕上がっているようです。

よく他塾の先生方から、うちの塾のテスト勉強会の様子を見学したいというご依頼をいただきます。驚くことに、メイン中学の一部の先生方にも、「あの塾の定期テスト勉強会は良い」と絶賛していただいているそうで。ただ、このブログでもいつも書いている通り、別に変わったことは何もやっていません。「どんな秘策があるのだろう」と期待に胸を膨らませて見学にやってこられた先生方にいつも申し訳なく思うくらい、秘策なんてものは何もないし、一応ある程度のノルマとして確認テスト類はありますが、それ以外は普通に生徒が集まって、各自が自由に勉強しているだけなのです。

参考:定期テスト対策授業を一切しなくても、塾生が学年トップを維持できる理由。

世の中には「面倒見の良さ」を謳い文句にした塾がたくさんあります。また、消費者が塾を選ぶ基準に、「面倒見の良さ」が大きなウェイトを占めるようになってきています。定期テスト対策はバッチリです。なんなら5教科だけでなく技能科目もやってあげましょう。わからない問題はすぐに教えてあげましょう。あなたのペースに合わせたあなただけの授業をやってあげましょう。・・・などなど。なるほど、面倒見が良い塾ですね。人気が集まるのもわかります。

でも、そこまで面倒見を良くしなければいけないほど、子どもは自分で何もできないものなのでしょうか。毎日自分が受けている授業のテスト対策も誰かにやってもらわないといけないほど、子どもには分析力もないのでしょうか。技能科目も手取り足取り教えなければ、子どもは何も理解できないのでしょうか。わからない問題はすぐに質問するのではなく、解説書を読み込むこともできないほど、子どもには読解力もないのでしょうか。自分のペースに合わせた授業に甘んじるのではなく、自分にとって少々ハイレベルな授業でもついていこうと思うような、根性も向上心も持ち合わせていないのでしょうか。

いくら学力低下が叫ばれている今の子どもでも、そんなにやわな子ばかりとは思いません。もちろん、なかには自分でできない子もいるでしょう。でも、大半は、自分でできないのではなく、面倒見良くやってもらううちに、自分でできる能力を失っていっただけのように感じます。

話は変わりますが、芥川賞をとった又吉じゃない方の作家の作品「スクラップ・アンド・ビルド」にも、これと似たようなことが書かれてあります。中学生が読むには少々刺激的な内容が多いので、おススメ本というわけではありません。気になる人は自己責任で読んでみてね。

この作品のテーマは「介護」。介護が必要な老人を間接的に死に至らしめるためには、手厚い介護をしながら、老人から自分でできる能力をどんどん奪っていくことが効果的というのです。たとえば、移動するときはいつも車椅子を使えば、やがて老人は歩けなくなり、足腰が弱っていく。何でもかんでも手助けをしてやれば、やがて老人は自分で考えることをやめ、認知症の症状が酷くなっていく。

子どもの教育と介護を一緒にするなんてけしからんとお叱りを受けそうですが、それでも教育と介護の2つは非常に似通っている要素があると思います。それは、介護する側、あるいは教育する側が善かれと思って、手厚く面倒を見るほど、対象者はどんどん自分で何もできなくなっていってしまう、という点です。

面倒見が良ければ良いほど、自分でやることが減っていく分、子どもにとってはどんどん楽になります。本来は頭を鍛えるために塾に通うのに、塾で手厚く面倒を見てもらうことで、自分でやるよりも頭を使わずに済むようになるという、逆転の現象が起こるのです。

一方で、介護と教育が違うところは、「限度」のあるなしです。介護であれば、24時間手厚いサービスを受けることができる場所があります。自分でできる能力を失っても、四六時中誰かの手助けを求めることができるのです。しかし、教育は違います。いくら面倒見の良い塾に通っていたって、塾に通うのはせいぜい週2〜3日、それも1日2〜3時間程度です。24時間手厚いサービスを提供してくれる塾は、今のところ存在しません。つまり、自分で自分の面倒を見なければいけない時間の方が圧倒的に長いわけです。

自分で勉強する能力を失った子は、一人でどう勉強すれば良いのかわかりません。だって、そんなのは教わってこなかったから。テスト勉強でも塾で「やれ」と言われたことだけやっていればよかったし、わからない問題は、解説書を読む前に教えてもらったのだから。それなのに、受験前になると、親や塾の先生から「家でも自分で勉強しなさい」と言われる。だから、「え、何をすればいいの?やり方がわからないんですが。」となる。ダラダラ問題集を解いたりするけれど、そもそも何のために問題集を解くのか、解いた後はどうするのか、わからない問題はどうすればわかるようになるのかがわからないから、勉強してもできるようになるはずもなく、「オレは結局勉強ができない」、「やっぱり勉強はつまらない」というところに行き着いてしまう。

勉強とは、それが自分自身に関係する問題と認識し、自分の現状を分析し、必要なものを模索し、問題解決を図ることができなければ、一向にできるようにはなりません。面倒見の良い教育は、そこを根本から解決していないどころか、その根本となる力をゆっくりと握り潰してしまう危険性を持っています。悪いことに、サービスを施す側の善意のうちに。

うちの塾は、世間的に見れば最高に面倒見の悪い塾です。定期テスト対策授業もしません。質問にも安易に答えずギリギリまで考えさせます。授業は生徒のレベルに合わせずに、入試のレベルに合わせます。安易な補習もしません。補習する前に、適切な方法で復習をさせます。解説書は読んだ、ギリギリまで考えてみた、復習もした、けれど分からないとなって初めて、私たち講師が手を差し伸べるのです。もし、うちの塾に秘策というものがあるのなら、こういうことなのかなと思っています。

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