中学校の成績は、中学生が初めて経験する他者からの不透明な評価だ。

2期制の小中学校では、早いもので2018年度の前期課程が終了し、後期へと突入する。今まさに塾生から前期の通知票を提出してもらっているところだ。そんな時期ということもあり、今日は学校成績についての話をしようと思う。

絶対評価と相対評価

もうかなり昔の話にはなるが、私が中学生の頃は「相対評価」の時代だった。

相対評価では、5は学年の約10%の人数というように、5、4、3、2、1の人数の割合があらかじめ決められている。ということは「1」がつく生徒も必ず一定数存在したし、テストで自分なりに良い点数をとったとしても、それよりも良い点数の人がいれば5や4はもらえなかった。

時代は代わり、今は「絶対評価」となった。

絶対評価では、相対評価のように5、4、3、2、1の割合が決められていない。理論上は、全員5にすることも1することも可能だ。自分が頑張っていれば、他の人の成績の良し悪しは関係なく、良い評価を付けてもらえる。その結果、絶対評価のときのように、評価の割合が正規分布にはならず、学年の半数が5をもらえる科目があれば、数%しか5をもらえないケースも出てきた。

主観が入ることでの弊害

絶対評価の物差しは、生徒自身がどこまで頑張ったか、どこまで到達できたかだ。

その基準の設定や判断は、教科担当の先生によるところが大きい。つまり、絶対評価ではどうしても「先生の主観」というものが成績に大きく影響することになる。いやな言い方をすると、先生に気に入られている生徒は評価が良く、先生から嫌われている生徒は評価が悪いということも十分あり得る評価方法だ。

このように、先生の主観が入ってしまうことが原因で、絶対評価は世間から「不公平・不透明」と評判が悪い。私も、個人的な意見ではあるが、絶対評価は嫌いだ。もし自分が中学生のころ、今のように絶対評価で成績がつけられていたら、目も当てられない内申点になっていただろうと容易に想像できる。私は、大人から理解されにくい子どもだった。

世の中、公平透明な評価なんてない

しかし、一歩社会に出てしまえば、「公平・透明」な評価なんて実はほとんどない。

就職活動での合否、会社での査定や昇進…どれをとってみても「不公平・不透明」な評価だらけ。私たちはみな、不公平で不透明な他人の評価を受けながら、生きていかなければいけないのである。

学校の成績というのは、中学生が初めて身近な大人から受ける他者からの不透明な評価だ。

「テストも良かったのに、なんでオレが4なのかが分からない」、「私はもっと頑張ったのに」などと、もらった成績について不満に思うこともたくさんあるだろう。しかし、自分がどう思おうが、あなたは他者(先生)からそのように見られているという現実を理解しよう。そしてその数字が、残酷にも、あなたの進路に大きく影響するということも。

まとめ

定期テストを頑張ったにも関わらず成績がいまいちだった人は、どういう人間が他人から評価されるのか、一度考えてみるのもいいかもしれない。成績が良い友人は、授業中にどんな振る舞いをしているのだろう。どんなノートを提出しているのだろう。そういうのを、じっと観察してみてもいいかもしれない。自分が先生の立場なら、どういう生徒を評価するだろうかと、見る視点を変えてみてもいい。

中学生がそんなことを理解するのは難しいのは十分承知の上だし、中学生にそんなことを求めるのは酷だとも思う。

でも一つだけ言えることは、塾生には、他者から正当に評価されるような人になってほしいということ。人に媚びろと言っているのではなくて、自分の行動は他者の目にどう映るのか、他者をどんな気持ちにさせるのか、客観的に考える癖をつけてほしいと思う。

(10月慧真ニュース「塾長のつぶやき」より加筆修正)

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