小学生読書会「エーミールと探偵たち」

2017年9月28日

今日は小6生の読書会の日でした。9月〜10月の課題本は「エーミールと探偵たち」です。


この作品は、昨年の読書会でも課題本として取り上げたので、私自身は読むのが2回目になりますが、良本は何度読んでも良いものです。児童書とは言え、大人の私が繰り返し読んでも、読むたびに新しい発見や学び、また感動を得ることができます。

今日は第1回目ということで、物語の序盤を読んできてもらいました。

エーミールと探偵たちの序盤ダイジェスト

ノイシュタットという田舎の町に住む少年エーミールは、休暇中にベルリンのおばあさんのところに一人で行くことになります。美容師の仕事をしながら、女手一つでエーミールを育てているお母さんから、旅の費用として140マルクという大金を手渡され、失くさないようにそれを上着の右の内ポケットに大切にしまいました。エーミールは、その140マルクが、お母さんが苦労してやっと貯めたお金だということを理解しています。

ベルリン行きの汽車のコンパートメント席で、用心深く何度もお金があるかを確認するエーミール少年。同じコンパートメントには、馴れ馴れしくデタラメを話しかける山高帽をかぶった男が乗っています。最初は山高帽の男に用心していたエーミール少年も、汽車に揺られるうちに眠ってしまいます。そしてふと目を覚ますと、前の席にいたはずの山高帽の男がいつの間にか姿を消していて、内ポケットにしまっていたはずのお金がなくなっていました。

山高帽の男がお金を盗んだに違いない!と、エーミールは急いで汽車を降り、山高帽の男を追うことに。大都会ベルリンの街で、たった一人で一文無しになってしまったエーミールの運命はいかに・・・。

ストレートに訴えかけてくる児童文学

児童文学は良いですね。文章の書かれ方、メッセージ、全てがストレートで明確であるため、大人向けの文学のように深読みする必要はありません。ただ、ひとりぼっちになった時の悲しみとか、仲間の大切さとか、親から愛される喜びや親を思う気持ちの優しさ、壁にぶつかった時の悔しさは、児童文学だから浅いとか、そんなことは全くありません。

むしろ、エーリヒケストナー氏が書く物語は、どこまでも子どもが主役で、子ども目線でストレートにそういう感情を突いてくる。だから大人でもドキッとさせられるし、素直に「良いなあ」と思わされてしまいます。子どもたちにとっても、ほかの児童文学によくありがちな「説教臭さ」や「押し付けがましさ」というものがほとんどないので、感情移入しやすく、純粋に物語自体を楽しむことで作者からのメッセージをストンと受け取ることができるのだと思います。

読書会の有効性

現代の小学生の子どもたちは、こういうドイツ文学なんて、普段は自発的に手にとって読もうとしないでしょう。だからこそ、半ば強制力を発揮してこのような良書に触れさせることができる「読書会」はとても有効だなと思います。

児童文学と言えども、ネットに転がっているような軽い文章よりも格段きちんとした綺麗な文章で書かれています。幼少時からの正しい日本語や文章のインプット量が、読解力の礎となるのは間違いありません。

また、ドイツ文学のような外国の本は読みにくいと倦厭されがちですが、外国の文学だからこそ学ぶことも多いです。例えば、今日の読書会では通貨の違いを取り上げました。エーミールが盗まれた「140マルク」が一体どれだけ大金なのかということを知るために、1マルク何円という為替の計算をします。また、ベルリンの場所を地図で確認したりと、外国文学を読むことで、日本とは異なる文化・生活・考え方・表現の違いといったグローバルな感覚を感じとることができるのです。

塾に限らず、もっともっといろんなところで、読書会が広まって欲しいなと思っています。情緒面・知識面のどちらをとっても、1冊の本から得られることは多いです。

次回の読書会は2週間後。エーミールと探偵たちを3回に分けて読み進めていきます。