モチベーションと環境について考えてみた。

2015年9月29日

1週間の秋休みが明けたので、ブログも再開していきます。

今日のテーマは勉強の動機付けについて。いわゆるモチベーションってヤツです。勉強をしている本人にとっても指導者側あるいは保護者側にとっても、勉強のモチベーションは永遠のテーマです。モチベーションがある子どもは、黙っていても勉強します。逆にモチベーションがない子は、放っておいたら全く勉強しなくなってしまう。だから、時には飴とムチを使い分けたり、勉強の必要性について懇々と説いてみたり、あるいは強制してみたりして、何とか勉強に向かわせるんだけれども、結局どれも長くは続かないものです。

モチベーションの正体って、結局は次の3つに集約されるのじゃないかなと思います。1つ目は「飢え」、2つ目は「恐怖」、そして3つ目は「希望」です。

飢えからくるモチベーション

まずは飢えについて。勉強のモチベーションが高い子を見ていると、精神的もしくは物質的に飢えています。知識や情報に対する飢え、自分の能力に対する飢え、環境に対する飢えなど、何かしら飢えています。飢えているということは、言い換えると満足していないということです。その不満足感からくる強烈な飢えを満たすために、むさぼるように勉強します。

もう15年くらい前の話にはなりますが、私が学生時代に家庭教師をしていた頃、このような生徒を受け持っていました。経済的事情で塾には通えないということから、破格の値段で(月何回教えても2万円の定額制!)家庭教師をしていた子です。塾に通えないので情報にも飢えていたし、偏差値70を超えるトップ校を目指していたので自分の能力にも飢えていました。そして、荒れ狂った公立中学での勉強環境に嫌気もさしていて、より良い学習環境にも飢えていました。そんな彼女は、何も言わなくてももの凄い勢いで勉強しました。知識や情報を貪り食うように、吸収していきました。そして、どんどん偏差値を上げ、目標とする高校に合格していきました。

もっと昔、「モチベーション」なんて言葉はありませんでした。子どもは皆飢えていた。物質的にも精神的にも身体的にも。その飢えをしのぐため、もっと良い暮らしを得るために、必死で勉強していたのだと思います。

今の子どもは満たされています。いろんなモノに溢れながら暮らしている。情報や知識がなくても、ネットさえあれば何でも手に入る。飢えを感じることが少なくなっていった分、モチベーションを保つのも至難の業でしょう。

恐怖からくるモチベーション

次は恐怖からくるモチベーションです。これは想像に容易いですね。「不合格になるかもしれない」「成績が下がるかもしれない」「悪い点数をとったらお母さんに怒られるかもしれない」など、恐怖による動機付けによって勉強するタイプです。

恐怖からくるモチベーション自体、私は悪いことだとは思いません。特に受験生にとっては、「不合格になるかもしれない」という恐怖は、強烈なモチベーションになります。受験直前期の原動力としては欠かせない物だと思います。逆に、「なんとかなるや」という楽観的な受験生の方が不合格になります(参照:受験は「なんとかなるだろう」と思っている人から不合格になっていきます)。

ただし、これには負の面もあります。それは、モチベーションが一時的で持続しないということ。また、幸福度が非常に低く、精神的なダメージが大きいということ。つまり、受験直前期にしかエンジンがかからず、しかも精神的にタフでない子は逆に腐ってしまい、それこそモチベーションどころでなくなってしまうという危険性を持っています。

希望からくるモチベーション

最後は希望です。勉強することで希望が持てるというモチベーションです。私が小中学生の頃は、まだまだ学歴至上主義でした。勉強して、良い高校に行って良い大学に行けば将来に希望が持てるという考えに、誰も異論を唱えなかった時代です。勉強することは、希望と直結していたのです。ところが、今は良い意味でも悪い意味でも学歴至上主義が崩れてしまいました。それにより、勉強することと希望が必ずしも直結しなくなってしまいました。今の時代は、「飢え」同様、「希望」はモチベーションになりにくいのかもしれません。

それでも、希望をモチベーションに変える子もまだまだいます。それは自発的な夢がある子や、勉強することで将来が開けると信じて止まない子です。学歴至上主義が崩れた今でも、勉強ができないよりできた方が将来は開けるのは事実です。それを信じている子、あるいは勉強の先にある希望を見せてもらっている子は、希望が最大のモチベーションになります。

モチベーションがないなら環境を変えよ

勉強にモチベーションは欠かせません。でも、皆が皆、モチベーションを持って勉強できるわけではありません。モチベーションがないなら、無理やり持たせるのではなく、環境を変えるのです。

人は環境に左右される生き物です。環境が変われば、世間の見え方も変わってきます。勉強したい(あるいはさせたい)のなら、勉強することが当たり前だという環境に身を置くことです。トップ校はなぜ有名大学合格者が多いのか。教師の教え方が良いから、特別な授業があるからではありません。もちろん、モチベーションが高い人が集まっているからでもありません。有名大学を目指すのが当たり前の環境だからです。モチベーションの有無に関わらず、有名大学を目指すのが当たり前、それ以下はあり得ないという環境に身を置いているからです。

小学生や中学生でも同じです。モチベーションがないなら、環境を変えてみましょう。勉強することが当たり前という環境に身を置いてみましょう。環境は、時にはモチベーションをも凌駕します。