どこの世界でも、勉強する人と勉強しない人がいる。
勉強する人は危機感があるから勉強する。勉強しない人は危機感がないから勉強しないと言う人がいる。これは実は逆だ。
勉強するから危機感が生まれる。危機感が勉強を促すというよりも、勉強が危機感を高める。勉強すればするほど、不完全であることに気がつき、危機感がさらに高められて更に勉強に精を出す。勉強しない人は、そもそも勉強していないのだから、自分がいかに不完全な状態であることにも気がつかず、「まあ何とかなるだろう」と錯覚する。だから更に勉強しない。その結果、勉強する人と勉強しない人の差はどんどん拡大してしまう。
勉強しない人に勉強させる方法として、勉強がいかに大切なのか、勉強しないとどうなるのかを一生懸命説く方法がある。「勉強しないと将来はこうなるよ」「勉強しないと志望校にいけないよ」だから勉強しろ勉強しろ勉強しろ!いわゆる啓蒙というやつだ。
勉強しない人に啓蒙すると、言われてから2〜3日は勉強するようになるかもしれない。しかし、これもたいていの場合長く持たない。一方で、勉強する人に同じような啓蒙をすると、さらに勉強するようになる。結局「勉強しろ」っていう啓蒙だって、元々勉強する人にしか響かない。啓蒙することで、勉強する人としない人の差をさらに広げることになる。
勉強しない人を勉強する人に変身させるにはどうすれば良いのか。「そんなのその人の人生だ。放っておけば良い。」というのが極論だが、私のような塾屋はそうはいかない。勉強しない人を放っておいたら、それこそ職務放棄。生徒に勉強させてナンボのこの世界。お金を頂いて生徒を預かっている以上、どんな手段を使っても勉強させて結果を出さなくてはいけない。否が応でも勉強しなくてはいけない環境を作ったり、強制力を発揮したりして、「勉強しない人」をなんとか「勉強しなくてはいけない人」にする。
そうやって勉強しない子が強制力の下で「勉強しなくてはいけない人」になり、一生懸命勉強し、無事志望校に合格して強制から解き放たれる。強制力から解放された「勉強しなくてはいけない人」は、その途端また「勉強しない人」に逆戻り。ただ逆戻りだけならまだ良いが、勉強しない人が勉強した反動で、さらに勉強しないことに拍車をかける状態になることもある。
結局のところ、啓蒙も危機感もどんな手段も、「勉強しない人」を一時的に「勉強しなくてはいけない人」にすることはできても、「勉強する人」に変身させることはできない。