学生よ、夢なんてなくていいから学び続けなさい。

2015年7月1日

米国で2011年度に入学した小学生の65%は、大学卒業時、今は存在していない職業に就くだろう。

米デューク大学の研究者であるキャシー・デビッドさんが、2011年8月のニューヨークタイムズ紙のインタビューで語った言葉です。2011年に小学校に入学した子どもたちが、大学を卒業して就職するのは2027年。現在2015年ですから、あと12年後です。こんなことは本当に起こり得るのでしょうか。

googleもAppleもなければドコモもスタバもなかった時代

私が小中学生の頃、インターネットもなければ携帯電話だってありませんでした。クラスの友達の誰一人として、「将来はAppleやgoogleに就職したい」という夢を語る子もいませんでした。だってその当時はAppleもgoogleも存在すらしていなかったわけですから(googleの創業は1998年。長野オリンピックと同じ年です)。今は街中に溢れているドコモショップだって、今年とうとう鳥取県に出店し全国制覇を果たしたスターバックスだって当然ありません。

デジタルカメラもなかったので、修学旅行にはインスタントカメラを持っていくのが普通でした。当時のインスタントカメラは、24枚撮りなどのように枚数に制限があるので、無駄な写真は一切撮れません。その代わり、修学旅行が終わればすぐ写真屋さんに現像しに行って、友達の分も焼き増ししたものです。今は、インスタントカメラもなければ、あんなに街中にたくさんあった写真屋さんもほとんど見かけなくなってしまいました。

初めてファミコンを親に買ってもらい、ファミコンのゲームに没頭していたとき、「ファミコンばかりしているとアホになる」とよく親に怒られたものです。その当時は、将来は小さな電話でゲームができるなんて想像すらしなかったし、その小さな電話でできるゲームを作る会社が、プロ野球の球団を持つくらい大企業へと成長するなんて、親も夢にも思っていなかったでしょう。

職業も価値観も目まぐるしく移り変わる

現在34歳の私ですら、自分が学生の頃を思い返してみると、まるで浦島太郎にでもなった気分になります。職業だって同じです。当時は「IT企業」という言葉すらなかったし、WEBアプリデザイナーとか、社会起業家なんて職業もありませんでした。そう言えば、いつからマニキュアを塗ることを、「ネイルをする」と言うようになったのでしょうか。「ネイリスト」という職業もいつの間にかできていました。

このように、社会はとてつもないスピードで変化をし続けています。そう考えれば、冒頭に書いたキャシー氏の言葉も、決して大袈裟なことではないと言えるでしょう。時代に合った新しい職業がどんどん生まれていく一方で、コンピュータや人工知能を持つロボット技術の発展により、人間の仕事がコンピューターやロボットに奪われていくということも当然ながら起こり得るということです。今、「テクノロジーが雇用の75%を奪う(朝日新聞出版社)」という本を読んでいますが、近い将来「指示を与えられる側の仕事」がコンピュータやロボットに取って代わられることはもちろん、弁護士・会計士・放射線科医・教師などのホワイトカラーと呼ばれる高給取りの仕事も危ないと警鐘を鳴らしています。

夢を持つことよりも大切なこと

学校教育は、子どもたちにひたすら夢を持つことの重要性を語り、夢を持つことを無言のうちに強要していきます。神奈川県公立高校入試の面接試験でも、実に多くの高校で「将来の夢は何ですか」と問われます(参照:「僕には将来の夢がありません」という子に対しての私の意見)。夢はあって当たり前で、夢を持っていない子どもは、やる気のないクソガキのような目で見られます。進路選択だって、将来の夢から逆算して進路を考えることが正解だとされています。

たしかに夢を持つことは大切です。将来の夢から逆算して進路を考えるなんて、正解中の正解すぎて、もはやわずかな異論を挟むことさえ許されないでしょう。しかし、夢を持つということは、既存の職業の中から選択するということでもあります。既存の職業が、将来も果たして残っている可能性はどれだけあるのでしょうか。「良い大学を出て大手企業に就職できたら一生安泰」という一昔前の常識がもろくも崩れ去ったように、既存の職業観や現在の価値観のみを判断基準として夢を追いかけることに、私はむしろ危機感を覚えます。

このような激動する社会に生きる子どもたち(子どもたちだけでなく大人も)に大切なのは、夢を持つことの重要性を説くことよりも、将来どんな職業に就くにしても欠かせない高い思考力や、社会の変化を見る目を養いそれに対応できる柔軟性、どんな高い知能を持つロボットにもできないであろう高いコミュニケーション能力を鍛えていくことの重要性を説き続けることです。既存の職業に執着するよりも、まだ見ぬ未来の職業に胸を踊らせ、学び、学び、学び続けること、子どもたち自らが職業や時代を創っていける存在になることが、これからの教育に必要なことでしょう。