「やればできる子だと思うんですが」という言葉があまり好きではない。
やればできるということは、裏を返せばやっていないからできないということを意味しているのだと思う。つまり、やっていないからできない状態であって、ちゃんとやれば「できる能力がある」と思い込んでいる。「できる能力がある」というのは、あくまでも「もしやっていれば」というタラレバの話であって、「できる能力」があることが証明されたものでない。だって、そもそもやっていないんだから、できるかできないか分からない。「やればできる子だと思うんですが」という表現には、この子はやっていないからできないだけであって、決して能力がないからできないのではないということを主張したい言葉のように思う。
この表現を使う人は、「やる」ということを能力だとは思っていない。ただのやる気の問題だと思っている。でも、「やる」というのも立派な能力の1つである。「やる」ということはつまり「行動する」ということであり、「やる子」というのは「行動力がある子」ということができる。
「やればできる」=「やっていないからできない」人は、行動力という力が欠如しているということ。これは、やる気がないから云々よりももっと問題は根深い。やる気がなくてもちゃんと行動できる子はいくらでもいる。しかも、行動力がなく勉強をしていないから学力もないので、つまり行動力も学力も何もない状態ということになる。
一方、「やってもできない」人は、一見するととても残念な人のようにも思える。でも、「やってもできない」人は、「やった」だけども「できなかった」のだから、ちゃんと行動力はあるということ。「やっていないからできない」人も、「やってもできない」人も、現状は同じ「できない」状態なのであれば、「やってもできない」人の方が行動力が備わっている分だけ優れているのではないか。
「やればできる」という言葉は、過去に一生懸命何かをやって、その結果何かを成し遂げたことがある人が、再度何かにチャレンジするときに、過去の経験から自分を鼓舞するために使う分には、非常に効果がある表現になり得るだろう。もしくは、何かを「やった」後に「できた」子に対して、「やればできるんだね」と自信を持たせるために使うことも有効だとは思う。
でも、過去に一生懸命打ち込んで何かを成し遂げた経験もないクセにが「やればできる」と言ってみたり、親がただ怠けているだけの子に対して「この子はやればできる」という表現を使うのはどうかなと思う。「やればできる」という表現を軽々しく使っていると、「オレはやればできるんだけど、ただやらないだけ。だからその気になればいつでもできる。」と思い込み、一向にその気になんてならない。それで、気付いたときにはもう手遅れという状態になって、結局永遠にできないまま終わってしまうことになりかねない。
本当にできる人は、やる。だからできる。例えやった結果できなくても、行動した分成長できるだろう。
結論。「やればできる」と言っているうちは何もできない。