学力とは、クソつまらない基礎の反復の上に成り立っている。

学力とは、クソつまらない基礎の反復の上に成り立っている。

2014年10月28日

最近読み終わった東大首席弁護士が教える超速「7回読み」勉強法

東大首席卒業→財務省官僚→弁護士という超エリート街道を進んでこられた山口真由さん独自の勉強法をまとめられた話。東大首席卒業なんて言うから、さぞ「私って天才でしょ」的な自慢がたらたらと書いてあるだけかと思いきや、逆に努力・反復がいかに大切か、優秀と呼ばれる人が経験する苦悩についてリアルに書いてありなかなか面白かった。

東大主席だって教科書を7回も読んでいる事実

勉強が苦手な子にありがちな言い訳が、「何回やっても覚えられませんでした」ということ。でも、よくよく聞いてみると、「何回やっても」というわりには2回〜3回くらいしかやっていない。ヒドい場合だと、1回しかやっていないにも関わらず「何回やっても覚えられない」という言い訳を使う。

1回や2回くらいやってみて出来なかっただけで「オレには才能がない。やってもできない。」と嘆いている人に言いたい。

東大主席だって7回教科書を読んでいるぞ。
君は東大主席より天才なのか。

スポーツで例えてみると分かりやすい

1回や2回やってみて出来ないのは当たり前。いつも生徒に言っているが、「できる」のと「分かる」のは違う。頭では分かっていても、実際に出来ないことはたくさんある。勉強が苦手な子ほど、そこを勘違いする。

野球に例えて話してみよう。例えば変化球の投げ方を教わったとする。もしくは変化球の投げ方についての本を読んだとする。投法は分かった。理論も分かった。でも、いざ投げてみるとまったく思うようにいかない。だからもう一度投げてみた。でも2回目もやっぱり上手くいかない。

「本を読んで投げ方は分かった。2回も繰り返してみた。でも投げられない。やっぱりオレには野球の才能がないんだろうか。」
と思う人は、アホくらいである。

頭で分かっていることでも、実際やってみるとできない。スポーツでも勉強でも同じだ。
だから数えきれないほどの反復練習をする。さっきの野球ならば、1つのことを習得するのに100回も200回も変化球を投げ込んでみる。反復練習は恐ろしくつまらないかもしれない。でも、頭の中にあることを具現化できるようになるためには、クソつまらない反復練習以外に方法はない。

出来るということは、無意識のなかに落とし込むということ

勉強は基礎が大切だとよく言われる。ただ、この言葉の本当の意味を理解している人は少ない。
基礎というのは、頭の中でいろいろと考えて分かるという状態では、「基礎を習得した」ということにはならない。本当の意味での基礎の習得とは、無意識に落とし込むということだ。いわば反射神経で基礎が体得できているという状態ではじめて、基礎を習得している状態だと言える。

例えばかけ算の九九。小2生の一番の難関だ。まるでお経のようにスラスラと言えるようになるまで反復させられただろう。いちいち、3×3はえーっと3が3つ分だから・・・なんて考えてられない。「サザンがク!」と無意識に出てこなければ、そこから先のかけ算の筆算などは決して解けないのである。先ほどの野球の例だって同じだ。「変化球はこうやって投げる」といちいち頭で考えているうちは、絶対に変化球を投げることはできない。何も考えなくても体が動く状態でないと、出来るようにはならないのだ。

基礎を無意識レベルに落とし込むことができてこそ、その基礎をもとにした発展的な問題を考えることができるようになる。「基礎ばかりでつまらない」「もっと高度で面白い問題を解きたい」という気持ちも分かるが、面白い問題が解ける学力を築くためには、クソつまらない基礎の反復は不可欠なことなのだ。

基礎の数だけ、人生は豊かになる

うちの塾生だったら分かると思うが、うちの塾では毎日数学の授業のはじめに10問テストをやる。10問テストには毎回同じような問題ばかり並んでいる。授業で習って「頭では分かる」レベルの基礎を、「問題を見ただけで解ける」レベルに落とし込むのが目的で作成している。

自分で勉強する時も同じことを意識しよう。1度や2度やって出来なかったからって諦めない。また、頭で分かったからと「自分はできる」と思い込まないこと。

学力は、クソつまらない反復練習の上に成り立っている。クソつまらない反復練習でしか、確固たる基礎を築くことはできない。そして、そうやって身に付けた基礎の数だけ、できることが増えていき、それこそ面白いと思える高度なことにも挑戦することができ、必ず人生は豊かになる。