学歴社会がなくならいのは、ちゃんとワケがあるからです。

学歴社会がなくならいのは、ちゃんとワケがあるからです。

2014年10月2日
教育論
塾長の教育論

先月、代々木ゼミナールが規模を大幅に縮小したことで大きなニュースになった。大学受験予備校の代々木ゼミナール(通称代ゼミ)は小中学生にとっては馴染みが薄いかもしれないが、私が学生時代の時は、駿台予備校・河合塾と並んで3大予備校と言われていたほどの大盛況ぶりだった(ちなみに私は駿台予備校派だったので、代ゼミにはお世話になっていないが)。
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代ゼミ衰退の理由

代ゼミがここ10年間で衰退してしまった理由の1つに、浪人生の減少が挙げられる。今や大学は全入時代。学校・学部さえ選ばなければ、誰でも彼でも大学生になれる時代だ。小6レベルの分数の計算ができなくても、”beautiful”という単語のつづりが書けなくても、全く問題なく大学生になれてしまう時代に、わざわざ浪人してまで有名大学に入ろうと思うような骨太な若者はほとんどいなくなってしまったのだろう。「努力しても行きたい大学」よりも「努力しなくても行ける大学」を目指すのが、今の高校生の主流となっているという。それに加え、大学を出たからといって昔のように将来を約束されているワケでもない。高学歴の人だって、リストラの対象になることも十分あり得るこの時代に、「何が何でも有名大学」と考える高校生がいなくなるというのもうなずける。

だけど、学歴社会はなくならない

甘いな、と思う。たかだか十数年しか生きておらず、社会に一歩も出たことのない高校生が、社会の全てを悟ったような顔をして「有名大学を出ても意味がない」と、努力を放棄してしまう風潮に対してだ。ハッキリ言うが、メディアが声高に叫ぶほど、学歴社会はなくなってはいない。今でも一流企業や国家公務員などの新卒は、一流大学出身者がほとんどの割合を占める。誰でも大学生になれる時代だからこそ、大学の質が重視されるのは当然だ。

学歴は信頼度の証

では、なぜ一流企業や国家公務員をはじめとして社会は、高学歴者たちを求めるのか。その理由の一つとして、「誰もが嫌がる受験勉強に、逃げずに立ち向かってきた人たちだから」というものがある。高校生と言えば、思春期の一番遊びたい盛りの時。カラオケやゲーム、男女交際やバイトに励むことなく、誰もが嫌がる勉強に何時間も立ち向かってきた人間は、仮に会社の仕事が面白くなくても、そこから逃げず、しっかりと真面目に仕事をこなしてくれる可能性が高いということだ。入ろうと思えば誰でも大学に入れる時代に、あえて有名大学を志し、そこに合格する能力・知力・努力をコツコツと身につけてきた人間と、高校時代は遊びに費やして、ろくに勉強も努力もせずにとりあえず入れる大学に入った人間とで、どちらの方が社会における「信頼度」が高いのかは明白だ。

まとめ

受験勉強自体はあまり人生の役には立たない。方程式が解けなくても十分生きていけるし、江戸幕府の将軍の名前が言えなくても日常生活において困ることはない。しかし、高い志を持ち、目標に立ち向かって努力を積み重ねた過程とその精神、そしてそれに付随する学力は、やはり評価に値する。

学歴社会というのは、勉強がよくできる人が評価されるのではない。嫌なものから逃げずに努力を重ねてきた人が評価されているだけだ。日本の社会は、努力ができる人を求める傾向にある。それは今も昔も変わっていない。

自分を全うに評価されたかったら、やはり学歴は身につけておくべきだ。学歴というのはお金と同じで、無いと困ることはあっても、あって困ることなどないのだから。(ちなみに、日本の学歴社会はよく批判されるが、アメリカの学歴社会は日本よりももっと残酷なものだということは案外知られていない。)

※塾内通信「慧真ニュース」9月号より転載。