保護者に告ぐ。「カエルの子は、やっぱりカエルなのです」

2012年7月26日

今日はちょいと保護者の方にとっては耳の痛いエントリーになるかもしれません。壊れやすいガラスの心の持ち主の保護者の方は、読まない方が身のためです。ここからは、図太い心臓をお持ちの保護者の方のみ読んでください。あ、子どもは是非読んで、素敵な親を目指してください。

今日のエントリーは、カエルの子はやっぱりカエルなのだということだ。このエントリーを書くにあたって、「カエルの子はカエル」でググってみたところ、「カエルの子はカエルではない!」と主張しているブログがわんさか出てきてビックリ仰天!!そういうブログをいくつか読んでみると、明らかに「カエルではない」人がそう主張していて、「そりゃあなたは能力ありますから」って突っ込みたくなることなること。

ワタシの主張はカエルからはカエルの子しか生まれないということです。カエルの子が嫌ならば、親がまずカエルであることをやめないといけません。

例えば、「ウチの子全然本を読まないんです」と嘆いている親が、新聞ひとつ読んでいなかったり、楽しそうに本を読んでいる姿を子どもに見せていなかったり。そんな親を見て育った子どもが本を積極的に読むようになるとはとても思えない。「テレビばっかり見て全然勉強しない」と憤る親が、仕事から帰ってきたら毎晩ビール片手にお笑い番組を見ながら、おバカを売りにしている芸能人を見て大爆笑している。そんな姿を見ている子どもが、「テレビよりも勉強が大切」なんて思うはずがない。子どもが提出物を出さないと嘆く親も、催促しないと塾の書類をいつまでも持ってこなかったりする。

親自身がカエルであるということを自覚せずに、子どもに鷹になれと要求すること自体に無理がある。子どもは親を見て育つもの。カエルの子は、親カエルを見ているからカエルにしかなれないのだ。カエルしか見ていない子に、突然「鷹になれ」とは無茶ぶりすぎやしないか。

子どもに鷹になれと教えるのであれば、まず親自身が鷹になるべきだ。子どもに「積極的に勉強をして欲しい」と望むのであれば、親自身がまず積極的に何かを学ぶ姿勢を示す。子どもに「勉強の楽しさを分かって欲しい」と言うのであれば、親自身が楽しく勉強している姿を子どもに示す。本をたくさん読む子になって欲しいのであれば、親自身がたくさん本を読み、本ってこんなに楽しいんだということを子どもに語る。カエルから鷹になった親の姿を見続けるうちに、子ガエルもだんだんと鷹に成長していくだろう。

でも、塾の仕事でいろんな保護者といろんな生徒を見てそう思うんだよね。親が自分のことを棚に上げて子どもに無理な要求ばかりしているって。「この人の考え方や生き方はいいなぁ」って思う保護者の方の子どもって、やっぱり勉強はよくできる。

子どもは親が育てたようにしか育たない。こういう子どもになって欲しいと思うのなら、まず親が率先してそういう人間にならないとね。なーんて、親になったこともないワタシがエラそうにすみませんでした。