活字嫌いで勉強できる子を見たことがないという事実
勉強ができない子に共通することは、「活字嫌い」だ。
勉強が苦手なほとんどの子は、まず本を読まない。活字が嫌いだから本を読まないのか、本を読まないから活字嫌いになったのかは定かではないが、普段から活字に慣れていないため、学校の教科書ですらスラスラと読むことができない。
一方で、勉強ができる子たちに活字嫌いはほとんどいない。彼らが読書好きかどうかは分からないが、活字を追うことに苦痛を感じるどころか、そばに活字があると自分からそれを読もうとする。塾のこれまでの教え子の中でも、本当にトップクラスの子は、学校の教科書なんて、授業で全て習うとっくの前にすべて読破してしまっている。小学生だったら、本当に賢い子は教科書が配られたその日のうちに、最低でも国語の教科書は読破してしまうほど。彼らは活字を追うことに楽しみを見いだしているんではなくて、活字を追うことで新しい知識や情報を得られることに楽しみを見出しているんだと思う。
勉強の基本は「読学」
勉強というのは、「独学」が基本。もちろん、学校や塾で先生の話を聞いた方が効率よく理解できるが、四六時中先生がそばについてくれているわけでもないし、定期テスト勉強や受験勉強、何かしらの資格のための勉強などは「独学」無しでは成り立たない。独学をしているとき、唯一先生になってくれるのは「活字」のみだ。参考書も活字で書いてあるし、活字が少ない数学だって、分からない問題は解説に書いてある活字を読まなくてはいけない。つまり、「独学」は「読学」なのだ。
活字嫌いの子が勉強ができなくなる最大の理由は、「読学」ができないから「独学」ができないということにある。そもそも分からない問題を解決するために解説を読むのに、その解説は大嫌いな活字でしか書いていない。だから、解説を読んで理解しようという気持ちも失せて、分からないものを分からないままにしてしまう。それで、ますます勉強ができなくなるという悪循環に陥る。全ては活字嫌いから始まる、悪のスパイラルだ。
子どもの活字嫌いを克服させる方法
子どもの物心がつく前からこれでもかってくらい読み聞かせをして、楽しい本をどんどん買い与えて活字に興味を持つように仕向けることが一番重要なのだが、「活字嫌い」のままある程度まで成長してしまった子どもにはどうすればいいのか。
まずは、とにかく活字を読む苦痛をできるだけ和らげることから始めよう。そのためには、活字嫌いの子でも読むことをやめられないような超絶面白い内容の本か、子どもが興味を持っている分野の本を与えるしかない。図書館とか学校の図書室に置いてある本で済まそうとする人もいるが、基本的に図書館や図書室にはマジメで退屈な本か、古めかしい本しか置いていないし、活字嫌いの子どもがそれで満足するとは到底思えない。多少の出費は覚悟して、子どもでもワクワクするような大きい本屋さんに出向いて、子どもに好きなものを選ばせよう(ただし漫画以外で)。自分で選んだ新品の本を手にするだけでも、ボロボロの図書館の本を読む時とモチベーションは変わってくるだろう。
せっかく買い与えた本なんだから全部読み切って欲しいというのが親心だろうが、それは高望みというもの。活字嫌いの子に、「せっかく買ったんだから全部読みなさい!」なんて言ってしまったら、二度とその子は本を買わなくなる。最初から全部読み切ることを期待せず、全部読み切らなくてもしょうがないと思って割り切ることが大切。その代わり、つまらなかったときやレベルが合わなかったときのために、1度に3冊以上は買ってあげよう。つまらないなら、さっさと次の本を読めばいい。目的は「本を読むこと」ではなくて、「活字にならすこと」なのだから。
まとめ
アカデミックな世界と活字は切っても切れない関係にある。ちなみに脳科学の茂木健一郎氏によると、科学者になるには最低でも500以上の論文を読まなくてはいけないらしい。しかも英語で。別に科学者じゃなく、普通の大学生であっても、何百ページもある分厚い本を何十冊と読まないと卒業すらできないし、たかだか15歳の高校受験生でも、13ページにもわたる国語の試験を50分間で読み解かなければいけない。このことからも、勉強ができるようになるためには、活字の克服が絶対条件だ。
ちなみに、私は小学校の先生だった母親に、小さいころからよく本を買い与えられた。自分が本を選ぶ権利はなく、ほぼ母親が勝手に選んできたものだったが、小学生の間に灰谷健次郎の「兎の眼」や「太陽の子」、壷井栄の「二十四の瞳」などを読んでいた。そのおかげかどうか知らないが、中学・高校の間は太宰治、三島由起夫や高村光太郎などの本を好んで読むようにな、ちょっとキモい文学少年になってしまった。。。