親の所得による経済格差により子どもの学力格差が生まれると認識されている風潮が、個人的に好きではない。
昨年、とある地方自治体が主催する「無料塾」に講師として参加してみたのだけれど、無料塾のコンセプトが「学力格差を是正するために、経済的に塾に通うことができない子どもにも無料で塾を提供しよう」というものだった。でも、そこに参加している子どもたち(注:小学生)は、最新型のスマホを持っていたり、習い事をたくさんしていたり、オシャレな洋服を着ていたりと、どう見ても経済的に困窮しているとは思えなかった。
こういう実態を目の当たりにしたり、塾で日々生徒と保護者に接していたりすると、経済的な格差ではなく他の要因が学力格差により深刻な影響を与えていると感じている。それが「文化資本格差」と「友達格差」だ。
文化資本格差
小学生までの学力は、家庭内の文化的格差によって左右される。例えば、「読書好きの親を持つ子どもは、本が好きになりやすい」とか、「親が医者だと子どもも医者になる確率が高い」とか、「茶道やお花の先生をしている親の子は、礼儀作法が身についている」みたいな話をよく聞くと思う。これらは家庭内の文化資本によるものだ。ちなみにwikipediaによると、文化資本とは
金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。
とある。
これら家庭内の文化資本格差は、子どもにとっては自分の努力でどうにもならない「外部要因」であり、その外部要因によって学力の格差が生まれてしまうのだから、子どもにとってはたまったものじゃない。
文化資本格差と経済格差は似て非なるものだ。
ここは日本。全ての国民に文化的な生活を保証している国なのだから、たとえ貧しくても文化的な生活を送ることはできる。子どもに本を買ってやるお金がないのなら、子どもと一緒に図書館に行けばいい。博物館や科学館に連れて行くお金がないのなら、ホームセンターで植物の苗を買ってきて子どもと一緒に育てればいい。
逆に、どれだけお金に裕福な家庭でも、本の代わりにゲームや最新式のスマホをポンと与えたり、図書館や博物館に連れて行く代わりに夜遅くまで居酒屋やカラオケに連れ回したりしていると、子どもの学力が低下する要因になってしまうのは誰でも分かるだろう。つまり学力格差は親の経済格差のせいじゃない。お金のあるなしではなく、文化資本のあるなしで学力の格差は生まれている。
友達格差
子どもがある程度成長して中学に入学すると、今度は家庭内の文化資本格差よりも友達格差の方が学力に影響を与えることになる。早い話、どんな友達と付き合うかによって子どもの学力は左右されるということだ。
ところで、なぜ進学校は受験に強いのか。学校のカリキュラムが受験仕様になっているから、もともとできる子だけしか入学していないから、という理由ももちろんある。しかしそれ以上に、「勉強するのが当たり前の雰囲気に身を置いているから」に他ならない。ヤンキーが集う公立中学校によくありがちな、「勉強しているヤツ=かっこ悪い」みたいな図式が進学校にはない。むしろ、私が通っていた進学校は、「勉強できないヤツ=自分で努力することすらできないダメなヤツ」という空気すら漂っていた。
朱に交われば赤くなる。子どもはその傾向が大人よりも顕著だ。ヤンキーとつるめば真面目な子だってヤンキー化してしまうだろうし、勉強熱心な友達に囲まれれば、「勉強している俺カッケー」との認識を持つようになるだろう。周囲の友達が何色をしているかで、どんな色にも染まってしまう。それが中高生だ。
まとめ
結局のところ、「家庭でどう育てられたか」と「どんな友達と付き合ってきたか」ということが、子どもの学力に大きな影響を与える要因の2つだと思っている。だから、いくら政府や地方自治体が躍起になって経済格差を是正しようとしても、学力格差の是正にはあまり繋がらないんじゃないかな。