勉強を、楽しいか楽しくないかという基準で捉える人がいます。それが子どもならまだしも、最近は親御さんにも、また教育関係者にも、「楽しんで勉強する」ということを重要視している人が増えてきているように感じます。「勉強を楽しくするには(あるいは子どもに楽しいと思ってもらうには)どうすればいいですか。」などの質問を聞くたび、正直閉口してしまいます。楽しくないと勉強しないのかと。なぜ楽しいか楽しくないかという物差しでしか、価値を測れないのかと。
勉強は基本的に楽しくない
使い古された言葉ですが、学生の本分は勉強です。これはもう疑いようのない事実です。楽しかろうが、楽しくなかろうが、学生と名のつく人は勉強することが当たり前です。どれだけ数学が嫌いだろうが、どれだけ社会に興味が持てなかろうが、誠実に勉強に向き合っていくしかありません。それが学生だからです。
勉強を楽しいか楽しくないかという基準で考えると、おそらく大半の人にとって基本的に楽しくないという部類に入るでしょう。勉強よりも、ゲームをしている方が数倍楽しいし、友達とくだらない雑談をしている方が誰だって楽しいに決まっています。しかし、勉強できる人というのは、大概が勉強を「楽しそうに」やっているように見えるのも事実です。
勉強ができる人は本当に勉強が「楽しい」のか
勉強ができる人は、果たして本当に勉強が楽しいのでしょうか。私の経験上、どんなに勉強ができる人でも、「勉強が楽しくて仕方がない」という生徒にはかつて出会ったことがありません。どんなに勉強ができる人でも、勉強できない人と同じように、勉強よりも楽しいことなど周りにたくさん溢れているのです。
では、なぜ彼らは勉強を「楽しそうに」やっているのか。彼らは勉強を楽しいからやるとか、楽しくないからやらないとか、そもそもそういう基準で捉えていません。やるのが当然だからやる。ただそれだけです。どんなに辛くても苦しくても、勉強と誠実に向き合っていくしかないということを分かっているのだと思います。
勉強と誠実に向き合ってみると、壁や問題だらけだということに気が付きます。自分の弱点を掘り出し、できるまで練習を繰り返し、1つ1つ克服していく作業は、困難がつきまといます。だからこそ、人は成長できるし、何よりも達成感があるのです。勉強ができる人は、自分の成長と達成感を楽しんでいるのだと思います。だから「楽しそうに」やっているのです。
仕事でも同じことが言えます。仕事ができる人ほど、仕事を「楽しそうに」やっている。でも、仕事も勉強と同じで、その大半がたいへんなことや苦しいことばかりです。しかし、仕事と誠実に向き合っている人は、たいへんでしんどい仕事を通して、自分が成長できることを知っています。よい仕事ができたときの達成感も知っています。そこまで仕事と誠実に向き合ってこそ、仕事を楽しむことができるのです。
必死で勉強している受験生ほど、勉強が楽しくなる
受験勉強は基本的に辛いものです。しかし、受験間近になるこの時期、受験生は勉強を「楽しんで」いるように見えて仕方ありません。受験学年以外の中1生や中2生よりも、辛くてしんどい勉強をしているはずの中3生の方が、2倍も3倍も勉強を楽しんでいるように毎年感じます。
彼らが楽しそうに勉強をしているのは、生まれて初めて楽しくない勉強と正面から向き合い、色々な壁を乗り越えようと試行錯誤を繰り返してきたことで、成長や達成感を感じられるレベルにまで達したからでしょう。そこまでのレベルに達するまで勉強を自分の生活の中心に据えることで、はじめて勉強の「楽しさ」は実感できるのです。
勉強を「すごく嫌なもの」と感じている人は、まだまだ勉強と向き合いきれていないのです。まだまだ勉強から逃げているのです。勉強は、楽しいからやる楽しくないからやらないのではなく、辛くても苦しくても、それでも勉強から逃げずに向き合っていくうちに、ようやく楽しさが分かるものなのではないでしょうか。