勉強時間と成績は比例するのか、しないのか。

2015年10月31日

「勉強時間と成績は比例するのか」という疑問について考えてみようと思います。

勉強時間と成績は比例しない

結論から先に言ってしまえば、勉強時間と成績に比例関係はあるとは言えません。よく、トップ校は「ガリ勉の巣窟」のように誤解したり揶揄したりする人がいますが、現実はそんなことはありません。部活も青春も何もかも犠牲にして一日中机にかじり付いている生徒なんて本当に稀で、大概の生徒は、部活もオシャレも遊びもそれなりに楽しみながら青春を謳歌していて、いわゆる「ガリ勉」のイメージとはかけ離れています。

私が卒業した高校も、毎年京大に2ケタは合格する進学校だったのですが、京大に合格するような友達に限って、「コイツはいつ勉強しているのか」と疑うくらいスクールライフをエンジョイしていた印象がありました。もちろん、見えないところで勉強していたかもしれないし、学校の授業中に関係のない科目を隠れて勉強していた人もいましたが、「青春を全て勉強に捧げています」的な悲壮感漂うガリ勉タイプは皆無でした。意外にも、成績があまりよろしくない友人の方がガリガリと勉強をしていたような記憶があります。

だからと言って勉強に時間をかけなくてよいということにもならない

「勉強時間と成績は比例しないのだから、勉強は量より質が大切」という結論に安直に至ってしまう人がいます。特に「勉強時間と成績は比例しない」ということがこれまでの経験からよく分かっている大人に多いです。しかし、これもまた真ではありません。

質を高めるために欠かせないのは、元々勉強ができる能力というベースです。このベースがない人は、ある程度の量で勝負するしかないのです。たとえば、問題集を1ページ解くのでも、5分で簡単に解けてしまう人と、1時間かかってしまう人がいる。1時間かかってしまう人にとって、5分で簡単に解けてしまう人と同じ土俵で勝負するには、時間をかけるしかないわけです。

また、能力が高い人は、一を聞いて十を知るような、基本を分かっていれば簡単に応用問題にも対応できるタイプの人が多いので、「勉強は基本がとにかく大切で、基本が分かっていればどんな問題でも解ける」との持論を展開します。もちろんこれも正しいのですが、能力が高くない人がこれを真に受けてしまうととんでもないことになります。十を聞いてようやく十を知るタイプの人は、基本だけで全ての問題が解けるということはありません。応用問題のパターン演習を繰り返して、基本の使い方を体得していかない限り、やっぱり能力の高い人と同じ土俵には立てないのです。

繰り返しますが、「勉強時間と成績は比例しない」は事実です。進学校の生徒に「ガリ勉タイプ」が少ないのも、もともと勉強ができる能力というベースがあるからに他なりません。しかし、そのようなベースがない人にとっては、やはり「勉強時間と成績は比例する」のです。問題集を1ページ解くのに1時間かかってしまう人が、「勉強は量より質」と言って問題集を解く時間を30分に減らしてしまうと、インプットできる知識が半分になってしまいます。十を聞いて十を知るタイプの人が基本問題を解いただけで満足していると、応用問題が出題されたときに手も足も出なくなってしまいます。

まとめ

「勉強時間と成績は比例しない」が、勉強が苦手な人が勉強から逃げるための言い訳のための常套句として利用される場面を見ると、「そうじゃないんだけどな」という気持ちになります。

まとめてみると、

  • 元々能力がある人→「能力」というリソースが備わっているので、「時間」というリソースをかける必要がない。
  • 能力が備わっていない人→「能力」というリソースの代わりに、「時間」というリソースで勝負する。

ということになるでしょうか。