世の中には多くの勉強法の本が出回っている。さっきAmazonで「勉強法」がつくタイトルの本を検索してみたところ、なんとその数6591件だと(11月11日現在)!これだけ多くの勉強法の本が出回っているのにもかかわらず、「勉強の仕方がわかりません」という人は後を絶たない。私も塾でいろいろな手段を使って勉強の仕方を教えているわけだが、当然その通りに勉強をしてみるみる成果が上がる生徒と、なかなか成果が上がらない生徒とに分かれてしまう。
今日は、その原因は何なのかを探っていきたいと思います。
本来、学び方は人それぞれ
本来、学び方は人それぞれであるハズ。生徒10人いれば10通りの学ぶ手段があっていい。まずそれを忘れてはいけないと思う。
巷に出回っている勉強法の本のなかには、「これだけで東大に!」とか「どん底からたった1年で○○大学に合格した勉強法」とか、キャッチーなタイトルのものが多い。そういうのに深く感銘を受けて、「じゃあオレもこの方法を試してみよう!」とやってみたにもかかわらず、どうも上手くいかない・・・という経験を1度でもしている人は少なくないハズ。別にそういう本を批判するつもりはない。そういう本の著者は、実際にそのやり方で東大に行ったんだろうし、どん底からたった1年で難関大に合格したんだろうから、ウソを書いているワケではないと思う。
でも、ここでよく考えて欲しいのは、その人はたまたまそのやり方で上手くいったのであって、それをマネして万人が同じ結果を得られるわけではないということ。考えてみれば当然である。その本を書いた著者とその本の読者とでは、それまで築き上げた基礎学力も生活環境も性格もモチベーションも、とにかく何もかもが全く違うのだから、同じ結果にならなくて何ら不思議ではない。
「学び方は人それぞれである」という至極当たり前のことをまずしっかりと理解できているかどうかが、勉強法を使いこなす人と勉強法におどらされる人の一番の違いのように思う。
勉強法を使いこなす人の場合
塾生を日々観察していると、勉強法を使いこなせている人はほぼ「自分なりの勉強法」を確立しているように思う。自分がやっている勉強方法に迷いが見られない。しかも、その「自分なりの勉強法」は日々小さな改善やプチリニューアルが重ねられていて、常に磨き続けられているようにも思う。
たとえば、私が何か新しい勉強法を塾生に紹介したとしよう。もしくは、これまで定期テストくらいしか自分で勉強したことのない塾生に対して、受験勉強のやり方を説明したとする。勉強法を使いこなす人の場合、私が伝えた勉強法を100%取り入れてそれにチェンジするのではなく、自分の今の勉強法に私が伝えたものを付け加える感覚なのだと思う。そのとき、「なんだかしっくりこないぞ」と感じた勉強法については、「こんな勉強法をやってもどうせムダ」とバッサリ切り捨てるのではなく、自分なりの勉強法にフィットするように自分でアレンジを加える。
つまり、勉強法を使いこなす人は、自分なりのしっかりとした大きな幹があり、そこにいろいろな勉強法を付け加えることによって、さらにその幹をどんどんと太くしているという感覚だ。
勉強法におどらされる人
一方、勉強法におどらされる人は、自分なりの勉強法を確立していない。もしくは、確立しているけれどもそれに自信がない。だから、たとえばどっかのイケメン予備校講師が「こうすれば短期間で偏差値30アップ」という勉強法を紹介すれば、その勉強法を鵜呑みにしてそのままやろうとするし、またどこかの権威ある科学者が「最強の勉強法はコレだ」というものを聞けば、またそっちになびいてしまう。
で、結局はどれも上手くいかない。それもそのハズ、人が違うのだから同じ勉強法でも得られる結果が違って当然なのだが、それが分かっていないから「この勉強法は全く役に立たない」「結局この本の著者は頭が良いからであって、オレは頭が良くないからダメなんだ」となってしまう。“勉強法”という言葉に過度な期待をかけ、その結果勝手に失望し、見事におどらされているのだ。
勉強法におどらされないために
まずは王道の勉強法を確立する
中学生(とくに中1や中2)のほとんどが「自分なりの勉強法」なんてものを知らない。今まで、何かしらの目標に向けて一定期間勉強するという経験をしたことがないので、いざ勉強っていってもどうやればいいのか分からない。これはごく自然なことだ。
ダメなのは、そういう中学生に対して、勉強の基本をしっかりと教えないことだ。勉強の基本を教えないまま、テスト対策補習をやってあげたり、勉強の基本を教えないまま「勉強しなさい」と怒ってみたり。勉強法の基本がそもそも備わっていないのであれば、「自分なりの勉強法」なんてものを確立できるハズがない。
中学生など勉強の初心者に対しては、まずは一般的で王道な勉強の仕方を教えなくてはいけない。たとえば、問題を解いたらしっかりと答え合わせをし、まちがえた問題はやり直しをしてみるとか、勉強にはインプットとアウトプットの両方が大切だとか、そういったごく基本的なことだ。
「学び方は人それぞれなんだから、さあ、自由にやってみなさい。」といきなり自由にやらせてみたところで、最初からちゃんとできる子なんて稀。それで痛い経験をしている私が言うのだから間違いない。泳ぎ方も知らない子を、「さあ自由に泳げ」といきなり海に突き落としても溺れるだけなのと同じ。
ただ、「こうしなさい」と指示するだけでなく、なぜこのような仕方をするのか、なぜこういうやり方が大切なのかということを同時に教えなくてはいけない。意味も分からずにただ指示された通りやるだけであれば、結局表面上マネているだけで中身が伴わないだろうし、あとで自分なりのアレンジが加えられなくなってしまう。
新しい勉強法に移行するのではなく、付け加える感覚。
王道な勉強の仕方が身についたら、あとは自分なりにいろいろな手法を試してみたらいい。友達がやっている勉強法や、テレビや本で紹介された勉強法がなんだか良さそうだと思ったら、それを鵜呑みにして全く新しい勉強法を試してみるのではなく、自分の勉強のスタイルにどう加えることができるかを考えよう。
切り換えるのではなく、付け加えるのだ。
もちろん、付け加えてはみたが自分に合わないものもあるだろう。そういう時は、バッサリと切り捨ててしまうのではなく、一部でも取り入れられないかを考える。
私が高校生の頃、学校の英語の先生がいつも「英語はとにかく音読だ。音読なくして英語の成績は上がらない。長文でも何でも音読するように。」ということを言っていた。私はそれまでに英語を勉強するときに音読なんて一切したことがなかったから、音読を自分の勉強に取り入れることにとても抵抗があった。でもまあ、一度やってみようということでやってみた。そうすると、はやり長文読解の音読はピンとこない。スラッシュリーディングである程度速く読めていたから、音読をしながら長文を読むといつもより格段にスピードが落ちるのが気に食わなかった。
そこで、長文読解の音読はやめた。先生には合うかもしれないが、自分には合わない。その代わり、単語や熟語、構文を覚えるときに音読を取り入れた。これは私にとって効果テキメンで、音読を取り入れる前に比べて格段に暗記しやすくなった。
このように、誰かの勉強法を自分なりにアレンジを加え、自分のものにする。これを繰り返していくと、唯一無二の自分なりの勉強法が次第に確立されていくだろう。
その勉強法の意味を考える
この前東大を主席で合格した弁護士の7回読み勉強法という本を紹介したが、じゃあその通りにしようということで何も考えずに7回教科書を読んでも、残念ながら東大を主席で卒業できるようにはならないだろう。
勉強法を取り入れる前に、なぜそれが効果的なのかを考えないと、ただの表面上の模倣に終わってしまう。なぜ7回読むことが重要なのか。6回じゃダメなのか。7回読むことの意味とそれで得られる効果は何かを必ず考え、理解できたものを取り入れることだ。
勉強法の意味を理解できないのであれば、それを取り入れてもほとんどの場合効果がない。うちの塾生の中にも、私がこうしなさいと言ったことの意味を考えないで表面上だけ模倣している生徒がいるが、結局理解していないうちはいくら同じようにしたって点数は上がらない。
まとめ
結局、勉強の仕方が分からないって人は、自分なりの勉強を知らない、もしくは確立できなかった人のことだと思う。もっと突き詰めて言うと、自分なりの勉強法が分かる人というのは、「自分」との対話の中で「自分」というものをしっかりと持っている人だとも思う。そうやって築き上げた「自分」は、たとえどこかのお偉いさんが「この勉強法が最強だ」とか、どこかのカリスマ予備校講師が「この勉強法以外はクソだ」とか言っているのを聞いたとしても、決してブレることなく貫き通すことができる。それが、勉強法を上手く使いこなせる人の一番の強みなのだろう。
私がこの塾で定期テスト対策授業を全くしないのも、受験勉強に対しても自学を重んじるのも、中学生のうちから「自分」と対話しながら「自分なりの勉強法」、つまり「自分なりの戦い方」を築いて欲しいと思っているからに他ならない。