日本で学歴社会がなくならない理由

2012年7月18日

「学歴社会なんて終わった」という人がいるが、そんなことはない。学歴よりも実力が大切だとかなんとか言ったって、結局はある程度の大学を卒業していないと就職活動をするにも不利になることが多いし、高卒じゃまともに相手にもしてくれないところも多い。そもそも日本で学歴社会が終わることなんてないと思っている。

アメリカでは個人に価値を置くが、日本では組織に価値を置く。その個人がどれだけ偉大な人物であるかを評価し、個人がどれだけ素晴らしい組織にいるかを評価するのが日本だ。ロックフェラーとかカーネギー、新しいところで言うとスティーブンジョブスとかマークザッカーバーグとか、個人のエリートの名前が日本人でも割とスラスラと出てくるのに対して、日本はトヨタとかホンダとか、企業の名前がまず先に語られて、その中にいる中心人物の名前はほとんど語られない。どちらが良いのかじゃなくて、これはただの文化の違い。

そこらへんにいる大学生のキレイなノートには誰も興味を示さないが、「東大生」が書いたキレイなノートに関する本はバカ売れする。同じことをしていても「東大」という組織名が入るだけで、その人の市場価値が爆発的に上がる。「ミス慶應」とか「ミス東大」とかは話題になるけれど、どれだけ美人な女性でも「ミス三流大学」は全く話題にも上がらない。つまり、個人の業績よりも、大学や企業の組織がブランドとしての価値を生み出しているのが日本文化なのだ。

日本人は昔から個人ではなく組織に自己のアイデンティティーを反映させる民族なのだから、「どこの学校(組織)を出たか」で人物を評価する学歴社会って、実は日本にピッタリと合ったシステムなんですわ。だから、日本から学歴社会がなくなることはないだろうというのが私の考え方。

ちなみに、私は学歴社会が悪なんてこれっぽっちも思っていない。就職活動のときに学生が学歴で選ばれていくのって当たり前のことじゃないかな。「学歴より個人の能力を」っていうけれど、まだ働いたこともない学生の能力ってどうやって測れんのよ。学生の仕事は勉強で、学歴が高いってことはその仕事を一生懸命やってきたって証拠になる。もちろん、会社に入った後は学歴は関係なくなるけれど。