2016年度に県立高校改革の一環として、足柄高校・茅ヶ崎高校・厚木西高校の3校がインクルーシブ教育推進校として県教委から指定を受けてから今年で3年が経った。初年度にインクルーシブの特定枠で入学してきた、“第1期生”たちも高校3年生になり、そろそろ卒業後の進路を考え始める頃だろう。3年前足柄高校を見学した際に、一生懸命三角関数の問題を解いていた彼らは、今どのような学校生活を送り、どのように勉強し、どんな進路を思い描いているのだろうか。
そんなことを考えている中、ひょんなことから地元南足柄で3年ぶりに「インクルーシブ教育推進フォーラム」が開催されることを知り、ちょうど夏期講習の休みと重なったので参加してきた。
インクルーシブのお勉強に来た。 pic.twitter.com/KH5Vy0uD2J
— りんごくん@慧真館 (@keishinkan) July 31, 2019
今回も色々な批判的な意見があることは承知の上で、一県民として、また地域の子ども達の教育に関わっている塾講師として、私が感じたことを素直に書いてみたいと思う。
<過去のインクルーシブ教育関連記事>
・結局インクルーシブ教育とは何なのか。疑問点と一緒に説明してみる。
・【足柄高校訪問レポ】最先端のインクルーシブ教育の現状と実際を伝えようと思う。
“第1期生”たちは今
ごく普通の高校生としての生活
今回のフォーラムでは、インクルーシブ教育実践推進校の取組みを紹介するべく、足柄高校の教諭2人とともに3人の“第1期生”達が壇上に上がった。その中の2人は、3年前に足柄高校を見学した際、他の生徒と一緒に世界史のテストを受けていた生徒達だ。
会場となった南足柄市文化会館の大ホールには、ざっと100人くらいの参加者がいただろうか。大人でも緊張してしまう場で、学校生活について色々な話をマイク片手に堂々と落ち着いて話をしていたことにまず驚いた。説明されないと、彼らに知的障害があるとほとんどの人が気づかないだろう。
写真や映像とともに紹介される学校生活では、他の生徒と一緒に部活動をしたり、修学旅行で友達と騒いだり、文化祭でドラえもんとのび太の寸劇を披露したりなど、ごく普通の高校生らしい生活をごく普通に楽しんでいるようだった。
スライドに映しだされる映像を見て印象的だったのは、楽しそうに笑顔で写っている彼ら“第1期生”よりも、その横で彼らと同じくまた楽しそうに笑顔で写っている彼らの友人達やクラスメイトの方だった。
「周りの子にちゃんと受け入れられている」。表現は悪いかもしれないが、率直にそう感じた。障がい者だからと排他的でもなく遠慮したぎこちない態度でもない。障害がある子もない子も、普通のクラスメイトで普通の友達。写真や動画からはそのように見えた。そして私はそのことに対してとても安堵感を覚えた。
学力の差は歴然
では勉強面ではどうだろうか。口には出さないかもしれないが、誰もが思う疑問点は、「果たして本当に高校内容の勉強が彼らに理解できるのだろうか」ということだ。
数学担当の教諭の話では、やはり「一般受験をして入ってきた生徒たちとの学力の差は歴然です」とのことだった。
しかしそれでも彼らは高校内容の勉強をしているという。小学校の内容をやるのではなく、あくまで高校の教育課程の内容に対して各科目の担当教諭が別メニューを作ったり、わかりやすく授業を工夫したり、何度も補習をしたりと尽力されているとのこと。
3人の生徒の中の1人が「先生たちが一生懸命教えてくれて、クラスに先生が2人いるから分からないことも聞きやすい。最初は10点満点中1点や2点しか取れなかった国語のテストでも3年生になってからは7点8点をキープしている。勉強が分かるようになったのは本当に先生のおかげ」と壇上で力強く話をしていた。それを聞いていた担当教諭は「そんなそんな」と謙遜されていたくらいだ。
進路を選べるということ
インクルーシブ枠で入学した生徒達は、「進路実践」という一般枠で入学した生徒にはないカリキュラムがある。卒業後を見据えて、1年生のうちから企業や能力開発校などの見学をしたり、夏休み等の長期休暇を利用して企業に実習に行ったりする中で進路を考えていくという授業とのこと。
インクルーシブ校は普通高校なので卒業資格を取得できる。本人が希望すれば高校卒業後に大学や専門学校に進学することも可能だ。もちろん進学せずに就職したっていい。この辺りが、高校卒業資格を取得できず、1年生の頃から職業訓練に勤しむ養護学校との大きな違いだ。
進学・就職を限定せず、色々なことを見聞きし体験し勉強することで視野を広げていく中で、将来の進路を自分で選ぶということ。今の時代、もはや当たり前のことかもしれないが、自分の人生を選択できるということは人として非常に重要な権利だと思う。障がい者だからという理由だけで、最初から進路を限定される社会が健全なはずがない。
インクルーシブ教育によって彼らの進路は間違いなく広がっていると感じた。
インクルーシブの問題点
ここまでインクルーシブ教育の良い面を紹介してきたが、もちろん今回のフォーラムでも疑問に感じたことはいくつかある。
他の多数の生徒に対しての「支援」は
塾講師として、インクルーシブ枠ではなく一般枠で受験し入学する生徒と日々接している私が、今も昔も一番の疑問に感じていることは、「インクルーシブ教育で障がいを持つ生徒に対して手厚く支援することが、一般枠で入学する生徒を逆差別することにつながらないか」という点である。
障がいを持つ生徒には職業支援もする。企業への実習も行う。勉強も別メニューで見てもらえる。では、一般枠で入学する生徒に対しても同じことができるのだろうか。
足柄高校には、数%であるが卒業後に就職する生徒もいる。彼らに対しての支援はどうなのか。一般枠で入学しても、勉強についていけない子も当然いる。そういう生徒に対して、同じく別メニューで授業が組まれているのか。逆に通常の授業では退屈しているいわゆる「吹きこぼれ」の生徒に対して、別メニューでレベルの高い特別なカリキュラムが組まれるのだろうか。
答えは、否だろう。これが、私がインクルーシブに対して一番納得していない部分だ。障がいを持つ生徒も持たない生徒も同じように大切にされる学校を目指すのならば、障がいを持たない生徒に対しても同等の手厚いケアがあって然るべきだし、それがないのであれば、その時点で障がい者を「区別」していることにならないのだろうか。
拭いきれない内輪感
今回のフォーラム、会場には100人程度の参加者がいたが、行政や学校教育関係者、障がいを持つ子どもの保護者が大部分を占めていて、私のような一般の参加者はごく僅かだったように思う。いわゆる「内輪感」がものすごく、私は完全にアウェイだったので、質問するときも珍しく手が震えてきたほどだ。
県教委の肝いり政策のインクルーシブ教育ではあるが、その中身や具体的な取り組みは、一般に広く知られているとお世辞にも言えない。インクルーシブの考え方を知らなければいけないのは、障がいを持つ人やその家族、行政側ではない。一般枠で高校を受験する生徒や保護者のような、「自分たちが当事者と思っていない人たち」だ。
一般枠で受験する生徒や保護者は、インクルーシブ校に対して正直不安しかない。実態が見えないこと、障がい者ばかりにフォーカスされていることが原因だろう。インクルーシブ校とクリエイティブ校の違いも未ださっぱり分からない。一般の人々からしてみれば、分からないことだらけだ。分からないから不安になり、不安になるから避ける。それじゃあインクルーシブをやる意味がない。
それなのに、インクルーシブ校について広く知ってもらおうとする努力を行政側から全く感じられない。今回のようなせっかくのフォーラム、内輪感満載でやっている場合じゃないだろうと、アウェイ感満載の会場の中で一人イライラしていた。
「彼ら」から「私」たちへ
他にも問題点を挙げれば枚挙にいとまがないのでここでは控えておく。
今回のフォーラムで印象に残った言葉がある。
“From them to us”
障がい者を自分たちとはどこか別のところにいる「彼ら」と考えるのではなく、自分と何も変わらない「私たち」と考えるということ。
3年前、津久井やまゆり園の凄惨な事件が神奈川県内であった。そのとき「こんな悲惨な事件を繰り返さないためにも、もっと障がい者のことをよく知りましょう」という世論が巻き起こった。「障がい者を知ろう」とする時点で、障がい者を私たちではないどこか別のところにいる「彼ら」と区別して考えてしまっている。その考え方自体が、あの凄惨な事件の源となっているのに。
インクルーシブ教育の考え方は、決して「障がいを持っている人を支援しましょう」ということではない。そもそも支援は特定の人にだけ付けられるものではない。障がいがある人もない人も、日常生活において困る場面はたくさんある。誰もが支援を受ける立場にも、支援をする立場にもなり得る。「障がい者」が大切にされる社会を目指すのではなく、「私たち」全ての人が大切にされる社会を目指すのが本来のあり方だ。
「私ごと」と捉えた上で今の私にできることは、こうやってブログで広くインクルーシブ教育の実態について伝えていくことで、それが私の役割と思っている。