教育に対するビートたけし語録が、ヤバいほど的を射すぎている件

2012年11月14日

ビートたけしこと北野武の名言が面白すぎる。特に教育に関するたけし節には、思わずうなってしまうものが多い。教育に携わっている人間は基本的に綺麗事しか言っちゃいけないような風潮がある中、教育の世界に携わっていないたけしだからこそ、綺麗事とか色んなものを抜きにした教育の本質を語れるのじゃないかな。

“子供の教育で大切なのは、タガのはめ方と、外し方なのだ。タガを外しすぎれば、桶はバラバラになってしまう。タガをきつくはめすぎても長持ちしない。自由に何でも好きなことをしなさいと言われたって、何をしていいかわからないという子供が多いんじゃないか。自由というのはある程度の枠があって初めて成立する。なんでもやっていいよという枠のない世界にあるのは、自由ではなくて混沌だ。子供に自由の尊さや、喜びを教えたいのなら、きちんとした枠を与えてやるべきなのだ。”

最近の親御さんは「子どもに自由にやらせます」という言葉がとにかくお好きなようだが、自由の意味も教えていないうちから、子どもに自由にさせるというのは、それは子どもの意志を尊重しているのでもなんでもなく、ただ放任しているだけ。自由と放任をはき違えてはいけないことを教えてくれる名言。

“自分の子供が、何の武器も持っていないことを教えておくのは、ちっとも残酷じゃない。それじゃ辛いというなら、なんとか世の中を渡っていけるだけの武器を、子供が見つける手助けをしてやることだ。それが見つからないのなら、せめて子供が世の中に出たときに、現実に打ちのめされて傷ついても、生き抜いていけるだけのタフな心に育ててやるしかない。”

親が子どもに本当にするべきことを一言でいうと、こういうことなんじゃないかと自分も思う。「せめて、子供が世の中に出たときに、現実に打ちのめされて傷ついても、生きて抜いていけるだけのタフな心に育ててやるしかない。」しびれる。

“お前にはその才能がないんだと、親が言ってやるべきなのだ。”

「全思考」という彼の著書の中での一節らしい。この本は読んだことないのだが、この一節を読んで、是非読んでみたいと思った。その本の中で、こうも言っているという。

「努力すれば夢はかなうなんて嘘、人間は平等なんかじゃない、駄目なものは駄目だと教えてやらなきゃならない。」

こんなこと、教育に携わっている人なら絶対に口に出せない言葉。自分も一応教育現場で働いている人間なんで、普段は絶対に口にしない。けれど、夢を追いかける大切さを教えるのも教育であれば、どうにもかなわない夢を諦めることを教えるのも教育として大切な要素なんじゃないかなって常に思っています。夢や目標が叶わないと分かったとき、どう行動するか。決して腐らずに、どう現実と向き合い、そこからどう這い上がるかを教える方が、子どもにとって意義のあることなのかもしれない。

いかがでした?たけし節。賛否両論あるとは思うけれど、誰も言いにくいことをバッサリ言ってしまうところが、さすが世界のキタノだと思いました。