8期生へ向けた、最後の「塾長のつぶやき」

2016年2月10日

2月号の塾内通信内の「塾長のつぶやき」にて書いた8期生(現中3生)へのメッセージを、加筆修正して転載してみます。

=========================
もうすぐ公立高校の入試本番がやってくる。慧真館8期生の進路がいよいよ決まろうとしている。

昨年の11月から始まった週5日の通塾、毎日の勉強スケジュールを書き記した合格手帖、怒涛の冬期講習から勉強漬けになった冬期合宿、年が明けてからは、毎週のように繰り返した模試とその直し・・・。一体これまでどれだけの時間を、もうすぐ訪れるたった1日の入試のために費やしてきただろう。

正直、慧真館での勉強の日々は、受験生にとってしんどかっただろう。辛かっただろう。「なんでこんなに勉強しなければいけないんだろう」とくじけそうになったことも数えきれないほどあるだろうと思う。しかし、この1年間、しんどかったと同時に、人生で一番充実していると実感できる日々を過ごしたのではないだろうか。今まで感じたことがないほど、毎日の日々が貴重に感じたのではないだろうか。一日一分一秒の時間の大切さを実感できた日々だったのではないだろうか。ほんの少しでも、そう感じてくれていたら嬉しい。

何かに対して必死で頑張るとき、もちろん最初はとても辛い思いをするかもしれない。受験勉強だけでなく、スポーツでも音楽でも何をするにしてもまず学ぶ苦しみが先にある。しかし、辛い時期を通り越したら、その向こうには「楽しさ」が待っている。この種類の「楽しさ」は、ゲームをしている時やテレビを見ているとき、友達と遊んでいるときのような「楽しさ」の質とはまた別物だ。もうすぐ受験を迎える8期生たちは、その「楽しさ」を実感できる境地にまで達しただろうか。

参照:勉強は楽しいか?

このような質の「楽しさ」は、皆が皆経験するわけではない。楽しさや充実感を味わうことができる境地に達するまで、必死に頑張った経験がないからだ。自分の中にはどんでもない可能性があるのに、何かを知るということは実はとても楽しいことなのに、多くの人はそれに気付くこともなく、何かに必死に頑張ることもなく、のらりくらりと目の前の「楽しさ」を求めて、人生をただ消費してしまう。

もちろん、頑張らずに自由に好きなことをやって生きていくのもまた人生だろう。しかし、頑張った経験がある人間、辛さを乗り越えた向こう側に「楽しさ」があることを知っている人間は強いと思う。私は、頑張る人生と頑張らない人生のどちらも経験した上で、最終的には自分の好きな道を選べば良いと思っている。

8期生は弱々しい学年だった。学力的にも精神的にも、最初はどうなることかと心配で心配で、8期生のことを考えるといつも胃が痛かった(今もそれは変わりはないが)。しかしこの1年間、受験勉強を通して、8期生たちは少しずつ、でも確実に変わっていった。学力的にももちろんだが、それ以上に、受験勉強という洗礼を受ける中で、考え方や精神的にも少しずつ大人へと近づいてきた。

いつも楽な方向にばかり逃げていた子が、「志望校を低く設定すると、それに甘えて勉強しなくなるから」と、ギリギリまで高い目標を追い続けた。行き当たりばったりの勉強を繰り返してきた子が、自分の勉強の仕方がいかに甘かったかに気付き、順序立てて勉強するようになった。目標も何もなく過ごしていた子が、初めて自分で目標を見つけ、不利な状況下でも何とか達成しようと自分から頑張るようになった。他にも例を挙げればきりがない。

1年前は頑張っても西湘レベルが数人、他は西湘にも届かないようなレベルだったのが今は嘘のようだ。模試に対する心構えや模試後の問題用紙についても、1年前の解き方とはまるで別人だ。そして何より、自習中や授業中の勉強に対する姿勢・気迫も様になってきた。心無しか、顔つきまでもキリッとした良い顔をしているように思える。

この1年間、弱々しいながらも、彼らなりに一生懸命頑張る人生を経験した。合否ももちろん大切だが、この一年間、8期生が頑張る人生を選択したこと、そしてそれをもうすぐやりきろうとしていることが、何よりも尊いことだと思っている。

8期生もこれまでの卒塾生と同様、全員合格を信じている。

【8期生の1年間の成長を振り返る過去記事一覧】