勉強ができるようになるための、本当の「反省」の方法。

2015年9月17日

昨日の記事とリンクするところがありますが、今日は勉強での反省の仕方について書いてみます。

反省は後悔や懺悔と同じではない

うちの塾では、定期テストや模試など、ことあるごとに反省点を列挙させるのですが、「反省」と「後悔・懺悔」を誤解している生徒がたくさんいます。小学生のときなど、悪いことをすれば「反省文」というものを書かされますが、悪いことをしたときの反省であれば、後悔や懺悔をつらつらと書き連ねることが必要でしょう。しかし、勉強の「反省」は小学生のときに書かされた「反省文」ではありません。そもそも、意図的に悪いことなどしていないのですから。

分かりにくいので具体的に説明します。
たとえば、定期テストで思ったよりも悪い点数をとったとしましょう。その時の反省として、「ケアレスミスをしてしまった」というのは、反省ではありません。これは「ケアレスミスをしなければ良かった」という思いからくる「後悔」です。また、「勉強の仕方が甘かったから悪い点数をとってしまった。次はもっとしっかり勉強したいと思います。」というのも、反省ではありません。これはただの「懺悔」です。

反省とは具体的かつ論理的であるべき

勉強に対する本当の反省とは、このような極めて抽象的かつ精神論的な後悔でも懺悔でもありません。反省とは、失敗の原因を具体的に探り、改善点を論理的に考えることです。本当の反省とは、抽象的や精神論的な後悔・懺悔とは真逆の、極めて具体的・論理的な作業なのです。

具体的かつ論理的な反省でないと、後悔や懺悔をいくら繰り返しても物事は一向に改善されません。反省文を100枚書いたって、満足するのは先生だけで、本人の気持ちは全く改善されないのと同じです。大切なのでもう一度言います。反省は、具体的・かつ論理的でないと全く意味がないのです

たとえば先ほど例に挙げた「ケアレスミス」が点数が悪い原因ならば、いつ・どのようなときに・なぜケアレスミスをしてしまったのか具体的に探ります。字が小さいせいで読み間違えたからか、問題文に見落としがあったために間違えてしまったからか、筆算で計算すべきだったところを無理やり暗算してしてしまったために計算ミスをしたのか。極めて具体的に原因を探ったら、次はその改善点を論理的に考えます。字が小さいせいで読み間違えたのだったら、普段から字を大きく書く癖をつける。問題文に見落としがあったのなら、見落とさないように線を引きながら読む。暗算で計算ミスをしたのなら、計算力を鍛えるために毎朝10分の計算トレーニングをする。

一言に「ケアレスミス」と言っても、その原因は星の数ほど存在するのです。それを「ケアレスミスをしてしまった」の一言で片付け、挙げ句の果てに「次はケアレスミスをしないようにしようと思います。」と締めくくっても、ケアレスミスは一向に減りません。

一番悪いのは、「もっと頑張ろうと思います」という反省。何をどう頑張るのかが全く分かりません。きれいな精神論だけで片付けて、その場しのぎをしているだけで、実は全く反省していないのです。勉強の反省に「頑張ろうと思います」のような極めて抽象的な文言は何の役にも立たないことを覚えておきましょう。

まとめ

反省をする人が成長できると言います。しかし、本当は、「具体的な」反省をし、「論理的な」改善点を考えられる人が成長するのです。反省が抽象的だったり精神論的だったりする人は、成長できません。

このブログでも何度か書いてきたように、勉強が上手な人は「自分との対話」がうまくできる人です。反省は、究極の自分との対話です。自分と向き合うことに逃げ、失敗を自分以外の他者や環境のせいにしていては、全く反省にならないからです。「なぜ間違ったのか?」「何が原因なのか?」「勉強計画に穴はなかったのか?」「やり残していたことはなかったのか?」と、精神論でごまかすことなく真摯に自分に問いましょう。失敗の原因から目を背けずに、具体的に掘り下げていきましょう。そうすることで、ようやく具体的かつ論理的な反省ができるようになります。