教育は誰にでもできるなんて、錯覚ですから。

教育は誰にでもできるなんて、錯覚ですから。

2013年8月30日
教育論
塾長の教育論

戦後に生まれた人なら、ほぼ100%の人が何らかの学校教育を受けてきた。英数国理社という科目を自分も学んできた経験があるし、人生の中で一度や二度くらいは友達とか子どもとか、誰かに勉強を教えた経験だってあるだろう。だからだろうか、そこら辺の大学生にでも、お母さんにでもお父さんにでも、はたまた近所のオッチャンやオバチャンにでも、教育は誰でもできると錯覚してしまう。

学生時代に勉強がそこそこできた人が、脱サラして個人経営やフランチャイズの塾を開くのも、く○ん式や学○教室なんかが、「子どもが好きなだけでOK!」という謳い文句で、年がら年中ホームティーチャーを募集しているのも、どっかの首長が民間から校長先生を起用しようと躍起になるのも、教育は誰もができることだと錯覚してしまっている所以だろう。

ただ「教える」という行為なら、確かに誰にでもできるのかもしれない。例えば、九九を学んでいる小学生に対して、「2×3」の答えを教えられない大人はほぼ皆無だろうし、ちょっと機転のきく人なら、なぜ2×3の答えが6になるのか、絵や図を書いたりして子どもが分かりやすく教えることだってできるだろう。

でも、「教えられる人」が誰でも「伸ばす人」であるとは限らない。人の能力を伸ばすには、それこそ膨大かつ綿密な計画と期間を要し、2×3が上手く教えられることとはまた別のスキルが必要になる。

もしかしたら、「伸ばす人」は、2×3の問題で悩んでいる子どもに、分かりやすく絵を書いたりして教えないかもしれない。2×3=6と一瞬で教えてしまうよりも、子どもに自分で考えさせて、答えを導けるように仕向ける工夫をするかもしれない。そして、2×3が解けるようになった子どもに対して、今度は別の九九の問題をやらせてみたり、2×3を使った文章問題を出題してみるなど、その子の能力を継続的に高めようとするだろう。つまり、「伸ばす人」は、答えを分からせることを最終目的としておらず、その子自身の能力が高められることを常に考えて指導にあたるのだ。

いわゆる教育を生業としているプロと素人の違いはそこにあると思っている。スポット的に分からない問題を教えるというよりも、伸ばすことができるかどうか。その子の能力を最大限引き出すことができるかどうか。それができるのがプロであり、ただ教えるだけで満足してしまうのが素人。素人にいくら勉強を「教えて」もらっても、なかなか成績が伸びていかないのは、伸ばす指導をしてもらっていないからだ。

以前本気で成績を上げたいのなら、本気の人に学べというエントリーを書いたが、教育って、そんなチョロっと知っていることを教えたからってできるような簡単なもんでもないんです。かく言う私だって、塾講師歴10年以上ではあるものの、まだまだ「伸ばすこと」に対しては道半ばと思って日々試行錯誤しているのだから。。。