日本の教育は今だって昔だって塾が支えているんだ

2012年9月11日

維新の会の公開討論会のいわゆる「橋下面接」にて、株式会社による学校経営参入の是非の議論に対して、名古屋市長の河村たかし氏が「株式会社がやっていいに決まっている。今でも教育は塾が支えている。」と真っ先に発言したらしい。これまで河村氏のことを何とも思っていなかった私だが、これを聞いて、「河村さん、アンタよくぞ言ってくれました」と拍手喝采を送りたい気持ちになった。

河村さんが言うまで誰も公の場で口にしなかったが、日本の教育は今も昔も塾が支えている。これは間違いないと私も思っている。

19世紀半ば(日本でいう江戸末期)、日本人男子の識字率は50%を超えていて、世界一だった。ちなみに同時期のイギリスでは下層庶民の場合、ロンドンでも字が読める子供は10%に満たなかったというのだから、日本の識字率が異常に高かったということが分かる。(参考:「世界が驚愕した識字率世界一の日本」

江戸時代にこれだけ多くの人が読み書きできるようになった原因として、日本独特の寺子屋の存在が大きい。当時のロンドンやフランスなどには、日本の寺子屋にあたるような教育施設がなく、一部の富裕層しか学校に行くことができなかった。日本はというと、江戸時代に藩がつくった藩校は、現在の言葉でいうと公立の学校だが、その数は全国で300校ほどだったのに対して、当時の塾的存在だった寺子屋は、小さいものも含めると16560軒も存在していたという(参考:Wikipedia寺子屋)。これによって、藩校に行くことのできる藩士の子どもだけでなく、農民や商人など庶民の子も町の小さな寺子屋で読み書きやそろばんを学ぶことができた。日本の高い識字率は、寺子屋という民間の教育力による産物なのだ。

当時の日本の教育を支えていたのは寺子屋だけじゃない。幕末や明治維新に日本を支えた多くの偉人たちもまた、吉田松陰の松下村塾や緒方洪庵の適塾などの民間の「私塾」が輩出したのは言うまでもない。このように、この時代の日本教育は、官からの支援も何も受けない民間発の塾が表舞台に立って牽引し続けた。

明治時代の日本の教育は、民間にとって代わって官主導で進められ、現在に至るまで塾はすっかり日陰の存在となっている。それでもなお、実際には塾が日本の教育を支え続けているのは変わりない。昔よりも随分落ちぶれてきたPISAの順位でもまだ日本が高い順位を維持し続けているのは、日陰産業の塾が、学校教育という枠組みの中で落ちこぼれた層を根気よく教えて学力を押し上げ、吹きこぼれた高学力層により高い教育を施しているからだ。高校入試にしても大学入試にしても、「官」が用意した問題を解く学力の育成は、「官」による教育ではなく民間の塾が担っているといっても過言ではない。

私が河村氏を好きか嫌いかは別として、名古屋市の教育委員会のメンバーに地元の塾の経営者を抜擢したことは評価できると思っている。机上の空論では語れない本当の教育の実態を知り、理想の教育を泥臭く実践し続けているのは今も昔も塾なのだ。私自身も、この塾で地域の教育を支え続けるというミクロの活動が、マクロの日本教育を支えることに繋がると信じ、今日も塾生たちと向き合っている。