学校と塾とは違うのだよ学校と塾は。

「謎の進学校ー麻布の教え」という本を読んだ。中学受験では開成・武蔵と並ぶ御三家と呼ばれるような超難関校でありながら、ちっとも進学校らしくない「変」な学校が麻布学園であるという。

校則が一切ない自由すぎる校風、東大を目指しているのに高2まで家庭での勉強時間が0時間の生徒が多いこと、文化祭や体育祭では髪の色がレインボーになる生徒が多発すること、超進学校なのにも関わらず、学校の近くの駐在所のお巡りさんが進路指導の先生の電話番号を知っているくらいよく警察のお世話になるということ、バナナの皮が落ちているくらい汚すぎる教室などなど、非常に衝撃的な内容が書かれてあったが、読み終わった後、「とても学校らしい学校だな」と感じた。
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最近、校風よりも大学進学実績を全面に売り出したりなど、学校らしくない学校が増えている。そんな中で、あくまでも「麻布学園という学校」であろうとする教育は、極端な面もあるがとても好感を持てる。

この本を読んで学校と塾のそれぞれの役割についてちょっと思うことがあるので、今日はそれを書いてみたいと思う。久々に堅苦しい文体になりますが、こっちの方が書きやすいのでご容赦ください。

学校の役割は人格形成の場

学校は予備校や塾ではない。予備校や塾になり得ないし、なるべきでもない。そもそも、学校と塾では役割が違う。

では学校の役割は何かというと、それは人格形成の場だろう。一言に人格形成といってもいろいろで、学校ごとに目指す方向は大きく異なる。たとえば麻布学園は「人生を自由に生きる術を伝承する」ということに重きを置いている。特に私立の学校には、校風や伝統がとてもユニークで独自性に富んだ学校が多い。それが私立の最大の魅力の一つに思う。

官の影響をある程度受ける公立は、私立ほど学校ごとの独自性は打ち出すことは難しいが、それでも色々な公立高校に足を運んでみると、何に重きを置いて生徒を教育しようとしているかが高校ごとに異なることが分かる。たとえば厚木高校なら、文系・理系すべての生徒に科学的リテラシーを育成することを大切にしているし、湘南高校では「総合的な人間力の育成」という教育目標の元で、社会のリーダーとして世界で活躍できる人を育成することに重きを置いている。

私は、公立でも私立でも、その学校がどのような人間形成を目指しているか、そしてその目指す方向へ学校全体としてどのように取り組んでいるかがハッキリと感じられる学校が好きだ。教育の根幹は、やはり人を育てることだと思う。学校の教育方針のもとに、そこに集う生徒たちの人間性を向上させ、しっかりとした教養やモラルの土台を築けるように導くことが、学校の最大の役目だと思う。

塾で教えるのは無味乾燥とした知識やテクニック

予備校や塾の役割とは何か。学校との一番の違いは、塾や予備校は“サービス業”であるということ。サービス業なのだから、塾や予備校はお客様にサービスを提供して、その対価をいただくビジネスに他ならない。塾や予備校で言うお客様とは受験生などの生徒であり、そのお客様に対して「成績向上」や「志望校合格」の手助けをするというサービスを提供している。

「成績をよくして欲しい」「志望校に合格したい」などというお客様のさまざまなニーズを可能にするサービスを提供するのが塾。学校のように、人格形成や教養・モラルの土台を築くことではない。サービス業というビジネスの最大の目標は、お客様に満足していただくことだ。お客様の満足のために、塾や予備校は人格形成よりも、目先の学力や成績の向上、志望校合格を追う。そのために、塾では目先の学力向上には必要のない「余計なモノや余計なコト」を出来るだけ削ぎ落して、受験に必要なことのみをピンポイントで教える。とても無味乾燥としている教育だが、だからこそ塾の授業は分かりやすいし、短時間で力が付くのだと思う。

それぞれの役割を守ることでこそ教育は成り立つ

「学校は受験対策をしてくれない」「塾に行かなくても良いように学校でも受験対策をして欲しい」という人は多い。でも考えてみて欲しい。もし、学校が塾と同じように本格的に受験対策を導入したら、どうしても目先の学力を追わなくてはいけなくなる。

文化祭も運動会も遠足だって、受験に必要がないからやめましょう。部活動なんかしてたら、勉強の時間が減ってしまうから、部活動も廃止しましょう。理科の実験だって、やっている時間がもったいないから、教科書の要点をおさえるだけで済ませましょう。授業も、受験に関係ないところは一切省きましょう。極論だが、学校に受験対策を期待するということはつまりはこういうことだ。

学校がこうなってしまえば、「人を育てる場」という学校が本来持つ機能が崩壊してしまう。塾や予備校では教えない「余計なモノや余計なコト」の中にこそ、人生を豊かにする人格形成のための大切な要素があるのだと思う。

もちろん、皆が皆塾に通えるほど経済的余裕があるワケでもないのは承知している。塾に行かなくても、学校だけで受験でも何でも完結できるのが本来の理想の姿なのだろう。でも、現実問題として、今の入試システムは学校教育だけで完結できるようなものではないし、今の学校教育のシステム自体も入試に対応できるようなものにはなっていない。

だからこそ、学校には学校の、塾には塾の役割があるし、現行の入試システムが続く限り、双方ともそれを逸脱してはいけないのだと思う。逸脱してしまうと、麻布高校の真の自由の意味を問う教育や、厚木高校の科学的リテラシーを育成する教育、湘南高校の総合的な人間力の育成も実践不可能となり、全ての学校が同じように合格実績を競い合い、学校の個性も全て失われるようになるだろう。

私は私で、塾側の人間として逸脱することなく、全力で目先の学力や受験に通用するテクニック、余計なものを一切削ぎ落した分かりやすい授業を追い求めていこうと思う。学校が学校としてあり続けるために。

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