英語の本文テストが酷すぎる件について

2017年9月7日

5日の火曜日に実施した英語の「本文テスト」があまりにも酷かったので、昨日は久しぶりに説教タイムです。中1生に、真剣に説教したのは、彼らが中学に入ってから初めてのことでしょう。

ちなみに「本文テスト」とは、英語の教科書の英文穴埋めテストになります。定期テストの約1週間前に、テスト範囲の教科書本文の英文を、日本語訳から穴埋め形式で完成させていく内容で、教科書本文の単語・イディオム・表現・文法事項がきちんと理解できているかどうかを確認するためのテストです。

それが、テスト1週間前の火曜日になってもできていない。できていないどころの話ではなく、勉強した形跡すら見られないほど酷い状態の生徒もいたほどです。つまり、定期テストの基本である教科書の内容を、テスト1週間前になってもほとんど理解していない状態にしていたということです。

さて、ではなぜ本文テストができないのか。その理由として考えられる可能性は、大きく分けて次の3つです。

能力不足

1つ目は能力不足です。「一生懸命勉強したけれど、できなかった」というものです。成績不振を「能力不足」のせいにすることを、今の社会ではタブーとされていますが、確かに遺伝や育ってきた環境によって勉強に向いている子と向いていない子はいます。

英語の本文テストだって、1度か2度やっただけで頭に入る子もいれば、3度繰り返してもなかなかできない子もいることは確かです。

でも、だから何なんですか?

向き不向きなんて誰にでもあります。英語なら1度や2度ですんなり頭に入るけれど、数学は人よりも数倍時間がかかる場合もあります。自分はその分野に対して能力が劣っていて、人よりも時間がかかるのなら、人より早く始めればいいだけのことです。3度繰り返してもなかなかできないのなら、4度繰り返せばいいだけのことです。

前に「太郎くん」の話をブログに書いたことがあります。この子はお世辞にも能力が高い子だと言えませんでした。特に英語は一番の苦手でしたが、それを彼自身もしっかりと認識していて、それでも「だから僕はダメなんだ」と腐ることなく、誰よりも早く定期テスト勉強を開始し、誰よりも多く英語の教科書を反復していました。それでようやく結果を残すことができていたのです。

能力の差は確かに存在します。しかし、学校の定期テストの話でいうなら、能力の差は時間と反復回数によって埋められることがほとんどです。もちろん、本人がいくら努力しても埋められない場合もありますが、こちらもプロです。そういうケースはきちんと見極めることができます。

能力不足を埋める手段は、地味で辛い反復しかありません。しかし、地味で辛いかもしれませんが、勉強ならそれで能力不足はある程度まではカバーできます。学校の定期テストレベルなら、反復で学年上位にだって食い込めるのです。

過信

2つ目は過信です。1つ目の能力不足と対極にあるもので、ある程度勉強ができる子がやってしまいがちです。「自分は頭がいいから、これくらいで何とかなるだろう」と自分の能力を過信し、お茶を濁す程度の勉強で乗り切ろうとするのです。

自分に自信を持つことは良いことです。しかし、勉強の世界においては、皮肉なことに自分に過信する人ほど結果を残せません。

勉強を真剣にやったことがある人は分かると思いますが、勉強とはいくらやっても「終わり」というものがありません。逆に、やればやるほど、自分の足りないところやできないところが見えてきて、とてもじゃないけれど自分を過信することなんてできません。

一生懸命勉強している人ほど、「自分はまだまだだ」と言います。ちなみに、今年の卒塾生の中で一番偏差値の高い高校に入った塾生は、9期生の中でも最も勉強時間の長い生徒でした。勉強日誌には、周りの人が心配するといけないからという理由で、実際の勉強時間よりも短い時間を記録していたほどです。彼女がそこまでした理由は、誰よりも勉強をしていたがゆえ、誰よりも自分ができないと強く認識していたからでしょう。

自分を過信する人は、勉強と真剣に向き合った経験がない人です。「自分だってやればできる」と、やったこともない癖にプライドだけ高いタイプです。「やればできる」と言いますが、「やること」が最も難しいことだとわかっていないのでしょう。

なぜならやったことがないから。

意識の低さ

3つ目は、そもそも勉強に対して意識そのものが欠如している場合です。

これは「やる気がない」状態とはちょっと感覚が違います。彼ら彼女らの名誉のために言うと、そこそこのやる気はきっとあるのでしょう。試験で良い点数を取りたい、どこどこの高校に行きたいという気持ちは漠然とでも持っているのでしょう。

意識が低いとは、テストや勉強そのもの、または期限に対するものです。テストがあると分かっていても焦らない。悪い点数を取っても「別にいっか」。期限に間に合わなくても「しょうがない」。勉強やテストに対して、危機感が極めてゼロに近い状態のことです。

意識が低い=危機感がゼロな人は、自己都合主義なのです。テストや期限など、外的要因に対して自分の都合を合わせることをしません。よく、徹夜の是非が議論になったりしますが、こういう子は徹夜もしません。テストの前に一夜漬けでも徹夜する子は、ある程度見込みがある子です。意識が低い子は、テストで悪い点数を取ることよりも、期限に間に合わないことよりも、自分の都合の方が優先順位が高いのです。

普通の子達が普通じゃないところに到達するには

では、今回本文テストで点数が悪かった塾生は、上記3つのうちどれにあてはまるでしょうか。

はっきり言うと、全てです。反復もせず、自分の能力を過信し、意識が低いからです。

勘違いされがちですが、うちの塾は別に天才たちの集まりでも何でもありません。というより、天才肌の子なんて毎年ほとんどいません。普通の、ごく一般的な、ある程度勉強に時間を費やさないと学校の定期テストレベルでも点数が取れない子達の集まりです。それどころか、要領の良くない、どちらかというと勉強に向いていない子達も一定数います。「勉強しなくてもできる子」ではないのです。

そんないわゆる「普通の子たち」の集団が公立上位校への進学を果たせているのは、何度も何度もできるまで反復し、自分の能力を過信せず、人よりも多くの問題を解き、そして時間を勉強に費やし、危機感を持って真摯に勉強に向き合っているからに他ありません。普通の子が普通じゃないところに到達するためには、それしかないのです。

普通の子が、反復練習を放棄し、過信するようになったら学力は崩壊の一途を辿ります。また普通の子が、自己都合主義で危機感を持たない場合、学力の向上はほとんど見込めません。

ネガティブな記事ですみません

久しぶりのネガティブな記事になりましたが、今まで書いていないだけで、塾の現場ではこんなのしょっちゅうです。「子ども達の頑張りが素晴らしい」とか言って目を細めて眺めているだけで、子どもがしっかりと勉強できるようになれば誰も苦労しません。もしくは、「主体的な学びをー」とか言って、中身のないアクティブラーニングで教師が自己満足しているだけで、子どもの学力が上がっていけば、誰も苦労しないのです。

実際は、サボろうとする子を咎め、勉強の仕方がわかっていない子には何度も言って聞かせ、ズルをする子を叱り飛ばし、意識が低い子には時間をかけて諭すような、泥臭いことを嫌というほど繰り返しながら、ようやく少しずつ子どもは成長していくのです。