子どもの『表現力』が危ない!表現力を鍛えるために家庭でできること。

人に自分の意見や考えをわかりやすく伝える「話す力」や、それを文章として「書く力」は、どちらも「表現力」と呼ばれます。ここ最近、この表現力の重要性がいろいろなところで取りざたされるようになりました。神奈川の特色検査の要項をみても、全ての特色検査実施校で、求める力の中に「表現力」または「表現構成力」という項目があるほど、特色検査でも表現力は非常に重要視されています。その一方で、子どもたちの表現力は年々乏しくなっているような気がしてなりません。

そこで今日は、なぜ表現力が乏しくなっているかについての私なりの意見と、表現力を鍛えるためにご家庭にお願いしたいことについて書いてみようと思います。

書く力の向上は、まず話す力から

書く力のない子は、話す力も乏しいという特徴があります。きちんとした文章ではなく、単語で話すことが多いのです。

たとえば、話す力が乏しい生徒が宿題を忘れてきた時、
「先生、・・・宿題・・・」としか言わず、あとは推測してと言わんばかりにもじもじしながら立っています。
「宿題が何?」と聞き返すと、
「宿題を・・・忘れました。」と、短い文章で話したあと、また宿題を忘れたボクに何か指示をしてくださいと言いたげな顔だけして、下を向いています。
「宿題を忘れたから何なのか、はっきり言いなさい」と促して、ようやく「次回持ってきます。」とまた短い言葉が返ってくるのです。

一方、話す力がある生徒が宿題を忘れてきた時は、
「先生、スミマセン。今日の宿題を家に忘れてきてしまったので、次回提出しても良いですか?」などのように、単語ではなく、きちんとした文章で話すことができます。

きちんとした文章で話さない子は、家でも単語や必要最低限の文節でしか喋らず、しかもそれで意思疎通ができてしまうのでしょう。「ごはん」と言えばポンとご飯が出てきたり、親が会話の主導権を握り、子どもは「うん」や「ううん」としか答えないような会話が繰り広げられていたとしたら、書く力はおろか、話す力も育つはずがありません。

子どもに限らず、言語は言わなくても済んでしまうことは、言わないように変化するという法則を持っているそうです(参考:「わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (平田オリザ 著)」)。ごはんをどうしたいかを聞かずにごはんを出してしまっては、子どもが単語でしか喋らなくなっても仕方ありません。こうした小さな積み重ねが、徐々に子どもから書く力や表現力を奪っていくのです。

家庭の中で、国語の教科書の論説文で出てくるような堅苦しい言葉で話してくださいとお願いしているのではありません。せめて、単語ではなく、きちんとした文章で喋らせるように気をつけて欲しいのです。

書く力がないから子どもは書けないのではない

今の子どもは作文ひとつ書くにも本当に苦労をします。原稿用紙何枚以上という大それた作文ではなく、100字や200字程度で自分の意見をまとめるのでも、驚くほど鉛筆を持つ手が動きません。

今の子どもは文章が全く書けないのかというと、書くこと自体はできるのです。小学校でよく書かされているような日記や、読んだ本が「面白かった」「楽しかった」などのちょっとした感想、中学生なら部活動や自分の夢についてなどの話題だったら、そんなに苦労もせずに書ける子の方が多いでしょう。

じゃあ、何が書けないのかというと、たとえば時事問題や問題提起などの少々固いテーマに対する感想や意見です。つまり、自分の日常や身近なことであれば書けるけれど、それを飛び越えたところにある事柄であれば書けないということになります。

なぜか。これは表現力の問題ではありません。表現力がないから書けないのではなく、書くことがないから書けないのです。なぜ書くことがないのか。知らないから、今まで考えたこともないから、いきなり書けと言われても何を書いて良いのか分からないのです。

私が子どもだった頃は、ほとんどの家庭で新聞をとっていて、お父さんが朝刊を広げながら朝食をとる光景が普通でした。夜になると、一家に一台しかないテレビのチャンネルはニュース番組に合わせられ、親が政治に対してぶつくさと文句を言っているのを聞くのは日常茶飯事でした。このように、特に意識が高いわけではない子どもでも、嫌でもニュースや時事問題を日常的に見聞きしていました。

しかし、新聞の購読数も極端に減少し、テレビも一家に何台もある現代は、子どもがニュースや時事問題に触れる機会はぐっと減ってしまいました。ニュースや時事問題について、親がぶつくさと文句を言っていることもほとんど聞かなくなりました。だから、子どもは自分の日常以外で起こっていることについて関心を持たなくなり、考えなくなってきたのでしょう。しかし、これからは「部活動について」書くことのできる人よりも、社会について書くことのできる人の方が求められる時代です。

子どもは、普段考えたこともないことや知りもしない内容について、いきなり作文を書けと言われても書けるわけがありません。子どもだけでなく大人だってそんなこと無理です。人は、自分が経験したことがないこと、考えてみたこともないことについては、100字ですら書けないのです。記述問題が書けない、小論文が書けない子どもが多いのは、こういった理由からなのです。

子どもに新聞を無理やりでも読ませてくださいとお願いするつもりはありません。きっとそんなことをしても嫌がる子の方が多いでしょう。親自身がニュースや時事問題に関心を持ち子どもの前で意見を言うことで、たくさんの意見を見聞きする場を持てるようにしてあげて欲しいのです。子どもは、人の意見を聞くことで、自分はどう思うかという意見を持つことができます。子どもが好意的に受け取ろうが受けとらまいが、そのようなボールを常に投げ続けてあげてください。

まとめ

昔の子どもが無意識のうちに家庭や社会の中で経験してきた様々な教育の機能や慣習を、環境の変化や時代の移り変わりから、今の子どもたちは学ぶ機会が極端に少なくなっています。子どもの表現力や書く力が乏しくなるのも無理はありません。塾で小学生新聞や中高生新聞をとったり推薦図書をせっせと揃えたりしているのも、このような失われた機会を少しでも取り戻すためでもあります。

今の子どもの表現力や書く力が相対的に落ちてきているからこそ、逆にその部分を意識的に上げていくことで、将来その子の武器になることは間違いありません。

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