夏は受験の天王山・・・なんかじゃない!

2012年7月1日

早いもので今日から7月。この時期になると、塾のチラシが毎日のように新聞に折り込まれ、夏期講習の宣伝合戦が繰り広げられる。大手塾なんて、市場の動きがまだ鈍い6月上旬、早いところだと5月下旬あたりから、夏期講習のチラシを毎週のように投下する。さすが大手。資金力が違います。

うちのような零細塾はというと、6月から毎週折り込むと、夏期講習が始まるころには倒産してしまうので、市場が活発に動き出す7月上旬くらいに1〜2回折り込むのがやっと。7月4日と10日に←コレを折り込む予定です。お近くの方は是非チェックしてね。

塾が莫大な資金をかけてまで、毎週のようにチラシを投下してくるのは、やはり夏期講習に対する需要は大きいからだろう。

『夏は受験の天王山』『夏を制するものは受験を制す』
誰がいつ頃から言い出したのかは分からないが、今も昔も受験生の夏の代名詞みたいになっている。だからだろうか、夏休みがやってきた途端、受験生の親や塾の先生なんかは、受験生に対して過度な期待を寄せるようになる。

夏に一番多い保護者の方からの相談は、「先生、うちの子はもう夏なのに受験生の自覚がないようなんです。どうしたらいいのでしょうか。」という類いのもの。『夏は受験の天王山』ってことを、子ども本人よりも親が過敏になり過ぎているのだ。

考えてみて欲しい。夏までのんびり過ごしていた受験生が、夏が来たからってだけで、急に受験生の自覚を持ち出し、急に自ら黙々と勉強に励み出し、急に成績もうなぎ上り・・・ということがあるだろうか。キッパリ言いますが、ないです。特に公立高校の受験においては、夏から受験生の自覚を持って、自発的に勉強に励む子なんて稀。だいたいの子が、お尻に火がつく秋以降になってやっとこさ本気になり始める。これが現実。

そもそも、昔からずっと語り継がれている『夏は受験の天王山』『夏を制するものは受験を制する』というのは真実なのか。

まず、天王山という言葉は、天下分け目の戦いのとき、つまり勝つか負けるかの勝負のときに使う(←コレが天王山の頂上らしい。思ってたのと違う)。受験全体を見渡したとき、天下分け目の戦いのときって言ったら、明らかに受験シーズンの12月〜1月にかけてでしょう。夏を制するものは受験を制すると言うが、いくら夏に頑張っても、そこで息切れしてしまって、秋以降にガス欠になってしまっては元も子もない。受験を制するどころではない。

かといって、夏が重要じゃないと言いたい訳ではありません。夏は重要なことは間違いない。でも、高校受験では、夏が天王山ではないといことが言いたい。

夏は、天下分け目の天王山というよりも、どちらかというと、その天王山に登るための準備期間と言ったほうがいい。これからの戦いに備えて、グラウンドを何周も走ったり、スクワットを何百回もやったりして、戦いに必要なスキルや体力を備える期間。

受験において必要なスキルや体力というのは、基礎学力と勉強を頑張りぬく力。これに尽きる。秋以降にやってくる本当の「天王山」に備えて、大変な受験勉強を走り抜くことが出来る勉強体力を備えるのが、本当に夏にやるべきことなのです。

だから、受験生本人に自覚があろうとなかろうと、夏は頑張らせなきゃいけない。「自覚を持て」と言う前に、受験勉強とはどういうものか、一生懸命頑張って勉強するってどういうことかを体感させなければいけない。そうすると、受験生自身に本当に受験に対する自覚が芽生えたとき、「天王山」を乗り切れるだけの勉強に耐えることができる。そういう意味で、夏は大切なのです。

ちなみにうちの夏期講習は、受験生に自覚が芽生えていようとなかろうと、有無を言わせず頑張らせます。本当の受験勉強ってやつを、体感させます。