勉強ができなくなるのは、頭が悪いからなんかじゃない

2012年9月5日

人は誰しも、遅かれ早かれ必ず勉強の壁にぶち当たる時が来る。小学生の割合の授業で勉強の壁にぶち当たってしまう人もいれば、中学1年生の方程式でぶち当たる人もいるし、高校生の微分積分で壁を実感する人もいる。大学受験までは楽々こなすことができても、名門大学に入学して初めて壁にぶつかる人もいるだろう。

そもそも勉強の壁とはどういうものなんだろう。理解力なり暗記力なり、はたまた勉強法なりという、今まで自分が磨き上げてきた勉強に対する「道具一式」が通用しなくなるとき、勉強の壁はやってくる。つまり、壁にぶつかったときというのは、自分の持つ「道具一式」を改めて見直し、より強力なものへと昇華させなければいけない、もしくは自分に足りない道具を新しくそろえなければならないというサインなのだ。それをせずに、今までと同じやり方、同じ方法に固執し続けても、壁は永遠に乗り越えられない。

中学生のときに勉強につまづくことなくトップ高校に合格し、そこで初めて勉強の壁にぶち当たり挫折していく人は少なくない。この多くの場合、中学の勉強で通用していた「道具一式」が高校でも通用するはずだと思い込み、道具一式に磨きをかけることを怠り続けた結果、勉強の壁を越えることができず、その結果挫折してしまう。

残念なことに、勉強の壁にぶち当たったとき、多くの人がその原因が自分の「道具一式」が通用しなくなったという考えには至らない。「勉強の壁=自分の限界」と認識し、成績が悪くなったのは自分の頭が悪いからだと安易に自分自身を納得させてしまい、それ以上試行錯誤することをいとも簡単に放棄してしまう。「自分は頭が悪いから成績が悪い」と認めてしまうことは、実は勉強ができなくてもいい状態を正当化するための言い訳をしているだけに過ぎない。勉強ができなくなった理由を自分の頭のせいにしている人は、それから未来永劫勉強ができるようにはならないだろう。

どんなに賢い人だって、人は誰しも勉強の壁にぶつかるときが来る。ハーバード大学に入学できるくらい賢い人だって、大学に入ってみれば分からない問題の1つや2つは出てくるだろうし、ノーベル賞をとるような科学者だって、いつでも簡単に答えが分かることばかりではないはずだ。そう考えれば、本当の意味で「勉強のできる人」なんて存在しない。賢い人というのは、勉強の壁にぶつかった時、挫折感や自分の馬鹿さ加減に気が滅入る気持ちと戦いながらも、プライドを捨てて自ら人にアドバイスを求めたり、これまでのやり方に固執せずに違うやり方を模索したりしながら、「道具一式」に常に磨きをかけることを怠らない人だ。

困難にぶつかって、頭が悪いことにするかしないかを決断する岐路に立ったとき、「頭が悪い」という方を選んでしまうのか。それとも自分の持つ道具一式に磨きをかける方を選ぶのか。その選択の差が、学力の差なのではないだろうか。